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エッセイ 冬の贈り物

 2024年、年明けというのに雨だ。札幌暮らしは48年になる。12月に雨という記憶はあるが、1月の雨は初めての経験だ。

 我が家の庭は、落雪住宅のため家屋が土地の中央寄りに建っている。
 広めの南側、日の当たる狭い東側、半日影の北の庭は建築当初から、菜園だったり果樹園、花壇にしている。
 西側は車庫と玄関アプローチだ。

 東側に植えてあるリンゴの木には、鳥の餌台を取り付けてあり、毎日のように小鳥が来る。
 スズメやシジュウカラは餌台のパンやくず米をつつく。今年は暖かいのでふくらスズメにならない日がある。
 寒くはないのだろうが、体が小さくて痛々しく感じる。
 リンゴの木の横の凍れた姫リンゴや、南側の柵に寄せて植えたバラの赤い実をついばみにヒヨドリが夫婦で来る。
 木に成っているリンゴを食べられたことはないが、冬にリンゴを括り付けてやると芯までなくなる。
 小鳥たちは同時にやってくることはない。大きい順番というか、自分より大きなのがいると、食べ終わるのを少し離れた所で待っている。
 欲を張って独り占めする鳥はいない。ある程度満たされると、席を離れる。次の種がやってきて餌を食べる、と繰り返すのだ。

 雪に埋もれているはずのアジサイやラベンダーが、縄にくくられた頭を見せている。
 雪の下で眠るはずの青ネギは、葱色を濃くして斜になっているし、根元に保温のための枯草を敷いてあるブルーベリーもなんだか寒そうだ。

 「雪は豊年のしるし」ということわざがある。
 降雪は2021年の札幌のように多過ぎても大変だが、こうも少ないと一抹の不安がよぎる。
 平成の米騒動は冷夏が原因だったが、降雪と関係はあったのだろうかなどと考える。

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