『天才を殺す凡人』
この本を読んだ経緯は南祐貴さんという様々な面で参考にしている人がいるのだが、その人がおすすめをしていた本であったので手にとった一冊である。この本の分類によると私は秀才よりの凡人であるように感じた。理由は今までの人生を思い返すと、「共感性」を軸に人を評価し、個人の好き嫌いを判断していた。これがまさに凡人の特徴であり、天才を殺す要因であると本の中では記されていた。
この世界では天才と凡人と秀才でできている。各々の特徴として、天才は独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進める人。秀才は論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人。凡人は感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける人との特徴がある。
この三者の関係は、下図のようになる。
そして、この三者では軸(その人が価値を判断する上で前提となり絶対的であるもの。)が異なる。天才は「創造性」を、秀才は「再現性」を、凡人は「共感性」を軸にして評価を行う。評価は覆ることがあるが、軸は絶対的であり変わることがない。
例を挙げると、サッカーが嫌いな友人にサッカーの良さを伝えてその友人がサッカーが好きになった場合、「共感性」という軸の上で対話により評価が変わったことになる。まずそもそも軸が異なる場合は対話ができず話が平行線となるため、コミュニケーションが取れない。
この「コミュニケーションの断絶」が凡人が天才を殺す要因となる。天才よりも凡人の数の割合は圧倒的に多いため、凡人は「多数決」というナイフを使って天才を殺すことができる。
そしてこの凡人と天才の間で起こりうるコミュニケーションの断絶は会社でイノベーションが起こらない理由でもある。ビジネスは「作って→拡大させ→金にする」というプロセスで進む。拡大と金にするフェーズではKPIはわかりやすく表すことができる。しかし、創造性は既存のKPIで直接測ることができないが、社会の反発の量から間接的に創造性を測ることができる。そうなると反発の量をKPIに置けばいいかと言われるとそうではない。会社は多くの凡人によって支えられている。社会からの反発の量をKPIに置きイノベーションを加速させることは会社を潰すリスクにもなりかねない。この理由から凡人による反発のためイノベーションを起きないということになる。
反発の量で判断すると本当にだめで反発されているものと凡人に創造性が理解できずに反発されているものの区別ができなくなるのではないかという疑問が湧く。その2つを区別する基準は「広くて浅い反発」と「深くて狭い支持」の割合で見極める。
広くて浅い反発:深くて狭い支持=1:9~2:8
→業界を覆すような破壊的イノベーション
広くて浅い反発:深くて狭い支持=7:3~5:5
→多くの人に使われるサービス
広くて浅い反発:深くて狭い支持=4:6~2:8
→既存プロダクトの改善になりえる
凡人による反対は根拠はなく、なんとなく嫌いということが多い。共感性は覆りやすいため、意見が割れるところにビッグサクセスがあるとのことであった。
天才と秀才がディベートをすると必ず秀才が勝つ。これはアカウンタビリティ(説明能力)に差があるためである。天才には凡人や秀才には見えないものが見えている。しかしこれを説明しようとしても数字のなどの裏付けはなく、根拠がどうしても薄くなってしまう。これが「幽霊のアナロジー」というものである。幽霊を見える人は見えない人に向かって「幽霊がいる」といったところで信じてはもらえない。これと同じで天才が見えるものというのは描写はできるものの実態を見せることはできないのである。このことから天才は孤独になりやすい。その天才を支えてくれるのは凡人の中でも極めて共感性が高い「共感の神」である。「共感の神」は具体的に言うと、あまりに共感性が高く誰が天才か見極めることができる人のことである。会社で言うと、根回しが上手い人である。会社の中で新たな事業をする上で根回しは非常に重要なものとなる。しかし天才は共感性や再現性を持ちえないため説得することが難しい。天才が新たな取り組みをする上で必要なのは、裏からサポートしてくれる人=「共感の神」なのである。
個人的に本を読んだ上で使えるテクニックだと思ったのは、秀才や天才に相談に乗って欲しいとき「お前ならどうする?」というキラークエスチョンである。秀才や天才は凡人と話すとき、見下しまともに取り合ってくれない可能性がある。そこであなたならどうしますか?と問うことで主語を変え話に引き込むことができる。秀才に相談する際に重要になるのは、その秀才が使った言葉を使うことが大事。秀才は再現性を重んじており、自分の言葉を覚えているし、変えたくないと思っている。その秀才の言葉を使って目的や背景を説明することで共感を得やすいとのことであった。
凡人の最強の武器は言葉である。ここで重要なのはただの言葉ではなく「自らの言葉」である。そもそも言葉というものはたくさんの嘘が混じっている。ここで言う嘘は自らの言葉ではなく誰かから借りている言葉という意味である。赤ん坊が先に覚える言葉は「まま、食べ物、~したい」などである。つまり言葉より先に気持ちがあり、言葉は気持ちを表すためにはられているラベルである。人の心を動かすのはこの自らの言葉であり、凡人にのみ許された武器である。以前読んだ『2020年6月30日にまたここで会おう』でもまず学ぶべき教養は「言葉」であるというように述べられていた。人を動かすための言葉についてこれから学んでいきたいと思う。
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