『成長という言葉のジレンマ』矢印を自分に向けても成長は加速しない

”成長”というマジックワード

インターンシップや越境研修など、多様な実践型プログラムをコーディネートしていると、「成長」という言葉は、圧倒的な存在感のあるワードです。多くの人が「成長したい」と望んでいます。

でも、10年以上取り組んできた結論から言うと、成長は
「矢印が自分でなく、対象に向いたほうが圧倒的にはやい」

  • 成長したい、そのために、いろんな経験を積みたい。 

  • 営業で成果を出したい。認められる企画を作りたい。 

  • もっと若者に寄り添えるようになりたい。 

  • 企業の支援ができるようになりたい。

「・・・でも、そのためには、今の自分では未熟だから、
まずは成長しなきゃいけないと考えています。 」

・・・でも、未熟だからまずはもっと成長しないと・・・。

幾度となく聞いてきた言葉ですが、
もともとあったはず「◯◯のために」がいつのまにか消えていて、
この”成長”への脅迫感だけが残っていることも多いです。

成長に執着すると考えることがずれてくる。

でも、営業で成果をもっとあげたいなら、考えるべきことは、
自分の力があるかないかじゃなくて、相手は何に困ってて、何を望んでいて、どうなるともっと良くなるんだろうか?ってこと。

企業に寄り添いたいと思うなら、コンサル力があるかないかじゃなくて、
企業の現状についてもっと知ることだったり、経営者の悩みや、探している情報にアンテナをたてることだったり、自分でできないフォローならできる人を探してあげることだったり。なのじゃないかと。

そして、そうした目線の先に貢献を実感できた、成果を実感できた、そのとき成長をはじめて自覚できる。そういうものだと思うのです。

もちろん、成長に意識が向くことは、何かをイメージしたときに足りない自分に気づいているということなので、それ自体は、悪いことではありません。ただ、そこで矢印を自分に向けるのではなく、足りないと気付いたからこそもっと矢印を相手に向ける、対象に向ける。そうしていく中で、課題が、いつのまにかなくなっていく(次のステップにうつる)ように思います。

何かを獲得しないと、誰かを支えれない、何かを実現できない、んじゃなくて、今の自分にできるベストを1点ずつでも更新していく過程で積み上がっていくものがあるはず。
そんな風に”成長”を捉えられると良いのになと思います。

自分の持っている、できることでしか勝負はできない

自分より優秀な人はやまほどいて、自分じゃなく、もっと優秀な誰かがやったらもっとたくさんの人を支えられる、もっと高い成果をだせる・・・かもしれないと考えて、無駄に凹むことがあります。でも、よくよく考えてみると、そういうシーンは現実には存在しない。結局その人は、今困っている目の前の人の前にはいないし、この課題の前にいない。今困っている人の前にいるのは、課題に取り組んでいるのは自分だけ。これだけが事実です。

だから、自分にできることで勝負すればいいし、何かを獲得してからじゃなくて、今できることで勝負しながら貢献していけばいいんじゃないかなと思います。自分に矢印を向けすぎると、できることが何かすら見えなくなることも少なくありません。

話を聴く、事前に準備する、相談してみる、本を読む、調べる、まとめてみる・・・。そういうできることの中で、何をどうしたら、今より少し貢献できるのか?

”成長”はその過程の結果でしかない。

何気なく使う「成長」という言葉、それを使うときに、自分自身が何を見てしまっているのか?一歩さがって見つめなおしてみるのもたまには良いですよ。

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