第21回 三人の愛
保安5(4月に天治と改元:1124)年、閏2月12日、白河法皇(72歳)、
鳥羽上皇(22歳)、璋子(24歳)の三人は法勝寺で観桜を楽しまれたという記録があります。
この三方はお互いにとても仲が良く、法皇は上皇を孫として愛し、璋子はまた特別な存在でした。鳥羽上皇も璋子の美しさに満足し、この頃はさすがに法皇と璋子の交渉はなかったのではないかと推測されます。
傍目から見たら、微笑ましいというか不思議な三人の構図だったでしょう。
私が中学の頃、アメリカ映画で男二人と女一人で愛し合うというのが日本でも公開されて(もちろん観ていませんが)、かなり話題になった事を覚えています。
その年の5月に璋子は皇子通仁親王(眼病で6歳で死亡)を産み、8月にはまた懐妊しています。
通仁親王の眼病が心配なのか、9月には三条西殿で、三人が同殿(一緒に住む事)になった様です。
11月に、璋子は待賢門院(たいけんもんいん)となり、女院に列せられ将来が安定しました。
この時、まだ出家していない藤原通憲(みちのり:19歳:後の信西入道)という秀才が待賢門院の判官代となっています。3年後に生まれる雅仁親王(後の後白河天皇)の乳母に選ばれるのもこの関係でしょう。
その年、東北では力を持った藤原清衡が中尊寺金色堂を完成させたというのが都で噂となっています。
翌年5月に璋子は皇子を産み、10月にはまた懐妊しています。そして11月9日から12月3日まで、三人で初めて熊野詣でにまた仲良く行っています。
三人での熊野詣では4回、鳥羽上皇と璋子だけは4回行っています。
大治3(1128)年12月21日、また懐妊していた璋子は、法皇・上皇と共に白河殿にて雪見を楽しみます。
璋子にとってはいつまでもこの幸せが続くと思っていました。しかしそれは翌年から瓦解していきます。(続く)