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第5回 少女の頃(2)

紫式部(香子)の父藤原為時の祖父兼輔は賀茂川の西岸に邸を建て、堤邸と呼ばれ、兼輔自身も「堤中納言」と呼ばれています。学問も歌もできた方でした。「みかの原 わきて流るる いづみ川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」(百人一首)いつ見といづみをかけてますね!

香子は母を早くに亡くしたので、父方の堤邸で育ち、父の母(祖母)である拙著『源氏物語誕生』では富子に育てられます。父親は別の女性を妻とし、当時は妻問い婚でしたから夜いませんでした。

祖母富子は兼輔の従兄である右大臣藤原定方の十一人いた娘の一人でした。定方も歌が上手く陽気だったと言われます。「名にしおはば あふ坂山の
さねかづら 人に知られで くるよしもがな」(百人一首)これも「さ、寝」とさねかづらという植物をかけてます。

定方の姉は有名な醍醐天皇の生母で、祖母富子は醍醐天皇と従兄妹であった事を自慢していたと思います。(続く)

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