第42回 「応天の門」燃える!(2)
大宅鷹取は、以前に娘を、伴大納言の従僕・生江恒山に凌辱・殺害されていました。しかし相手は今を時めく伴大納言の家人、そして後ろには右大臣良相が控えています。訴えるべきか鷹取は悩んでいました。
一説には、鷹取が伴大納言の放火を訴えたから、恒山が怒って鷹取に乱暴し娘を殺したとなっている本もありますが、私は先に殺害された方を取ります。なぜなら訴えた者は事件が解決するまで拘留されるし(娘の殺害は可能ですが)、何か復讐のために訴えたら、放火の信憑性がなくなってしまうとでも記録的には忖度したのでしょうか?
知恵者の良房はカウンター・パンチを狙っていました。5月に良相・伴大納言の方から左大臣源信が放火したので逮捕しようとした逆を突くのです。
つまり実は伴大納言が放火して、罪を源信になすりつけようとしたと考えたのです。「承和の変」で心配して出してきた阿保親王の手紙を「密書」として陰謀の証拠として皇太子を廃し、自分の甥(文徳天皇)をちゃっかり新しい皇太子にしてしまった良房なら考えそうな事です。
良房は養子・基経に「伴大納言に恨みを抱いている者を探せ」と秘かに命じます。基経の情報網に鷹取が浮かんできたと思われます。
拙著では、基経の家来が鷹取に告発を勧めるとしました。「娘の仇がうてるのだぞ?」鷹取の表情に恍惚としたものが浮かんだ、まで書いてしまいましたが。
とにかく伴善男と息子中庸は捕えられ、お決まりの厳しい拷問に掛けられます。善男は大納言だったので容赦したかも知れませんが、中庸には激しい拷問〜杖で何度も強打するなど〜がなされたでしょう。ついに中庸は放火の自白をしてしまいます。善男は最後まで否定しましたが。(結局、真犯人はいまだに謎です)
ここで激しいショックを受けたのは17歳の清和天皇でした。有能で信じていた伴大納言が犯人であったとは・・・人事不省になり、ここでも良房は正式に「摂政」として政治万端を取り仕切る事になります。
9月22日、伴大納言は伊豆へ、中庸は隠岐へ、親族であった紀氏の一部も連座して、もちろん生江恒山も総勢15名ほどが流罪となります。業平はかつての上司伴善男が粗末な網代車に乗せられて流される所を都大路で見たでしょうか?
しかし一番のダメージを負ったのは右大臣良相でした。伴大納言の肩を持ち、左大臣源信の逮捕までしようとしたのですから。面目丸つぶれで自邸から出て来れなくなりました。これこそが良房の最大の目的。良房はこの放火事件を利用して最も恐い敵・9つ下の同母弟・良相を葬ったのです。(鬱々とした生活を送った良相は翌年10月亡くなります)
誰も反対者がいなくなった中、11月、良房は高子(25歳)を堂々と入内させます。恐らく高子の生母・乙春(たかはる)の涙の説得があったでしょう。乙春にとっては同じ子供・基経の出世がかかっていたので。
ただ、基経は少し不満でした。基経は娘が多く、長女頼子は10歳、次女は8歳で、ほんとは娘を入内させたかったのですが、年齢が少し足りませんでした。(数年後実行しますが)
12月、31歳の基経は参議を経ずに中納言に昇進し、高子は女御に進みました。この年、恬子内親王との不義の子が生まれた事もあって、業平の胸中は複雑だったでしょう。(続く)