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第144回 オッペンハイマーの挫折

ロスアラモスでは機密保持から爆弾は暗号名で呼ばれていました。
一つはプルトニウムを球形にして爆縮のため周りを取り囲むので、とても大きくなり「ファットマン(デブ男)」という愛称が付けられました。これは偶然、チャーチルへの敬意とされました。
それに対して、普通の長細いプルトニウム爆弾は、ローズベルト大統領が長身なので対照的に「痩せた男」という意味で「シンマン」と名付けられていました。しかしどちらも起爆に持っていくのは難しく、特に「シンマン」の機爆は難航しました。

1944年7月4日、オッペンハイマーは、かねてよりプルトニウムはウラン爆弾の両端に分けて爆発させる方法では無理だというエミリオ・セグレの提案を受け入れ、ついにプルトニウム爆弾「シンマン」の開発を放棄しました。
さすがにこの時、強気のオッペンハイマーもひどく落ち込みました。1月のジーン・タトロックの自殺からようやく立ち直りかけていましたが、今回の
ダメージはひどく、
「私に原爆は造れない!所長を辞任する」
とまで本気で言いました。周囲は驚き、そして慰留し激励しました。
「まだ別の方法があります。貴方しか所長はいません。原爆を造って早く戦争を終わらせて下さい。平和のために!」
と懇願しました。「平和のために」という言葉でオッペンハイマーはようやく気を取り直し、一から冷静にやり直す事にしました。
原爆が本当は平和のためでなかったという事は、戦後にオッペンハイマーは分かりました。(続く)

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