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第62回 後白河天皇譲位、二条天皇即位。

保元3(1158)年4月、賀茂の祭りで、関白忠通は信頼と揉め事を起こしました。祭りに喧嘩は付き物で『源氏物語』でも葵の上と六条の御息所の家来通しが激しく場所争いをしています。
しかし寵臣信頼の肩を持つ後白河天皇から、意外にも片手落ちの忠通だけに閉門が申し付けられました。忠通は後白河天皇を恨みました。
「主上も主上よ。保元の乱に勝てた恩も忘れて」

8月、美福門院得子は信西を呼びつけました。そして苛立つ様に言います。
「乱の一年前に主上が即位されたからもう丸三年。一体いつになったら譲位があるのです?亡き鳥羽法皇様はすぐにも譲位をと言われておったのに」
「分かりました。それでは早速に」

かねてより東宮守仁親王に早く譲る約束でした。
共に出家している美福門院と信西の話し合いでなされたので「仏と仏の約定(やくじょう)」と噂されました。
まもなく後白河天皇は16歳の東宮守仁親王に譲位しました。二条天皇です。
得子は、娘の姝子内親王が中宮になれたのを嬉しく思いました。我が子近衛天皇が17歳で崩御しても娘がいた。後は皇子が姝子内親王に生まれれば万々歳です。しかし二条天皇は別の女性の事を考えていました。

忠通は引退を決意し、遅くにできた16歳の基実に関白を譲りました。そして不本意ながら、基実を守って貰うために、信頼の妹を基実の妻としました。2年後、基通という男子が生まれました。(続く)

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