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第14回 紫式部は播磨で生まれた?

『源氏物語』には「明石の帖」があって、物語の中でも明石が「格別に眺めがよく、波がおだやかな所です」と何か一度は行った事がある表現ですし、とにかく「明石の君」が田舎の出身でありながら気品があり、娘(明石の姫君)を産み、東宮妃にまでなるという、昔も今も人々が好きな「シンデレラ・ストーリー」です。

明石の君も紫式部も思わせる所があって、「そんなに美人ではないが魅力がある。楽器(琴・琵琶)が得意。気位が高い」とあります。式部は琴に巧みでした。
式部が播磨出身ではないかというのは根拠があって、968年11月に式部の父・為時(22歳?)は新婚の妻を伴って、播磨権少掾(ごんのじょうじょう)という下級役人になって任地に下っているのです。(在京していたという説もありますが・・・)
そして翌年長女が、970年に式部が生まれた(今井源衛先生などの説)。そして4年の任期を経て972年に帰京した。
播磨のどこかは分かりません。当時国府があったのは蚕子(ひめじ:やがて日女路:姫路となったのは江戸時代)でしたが、式部は須磨に近い明石の方を気に入っていたのかも知れませんね。(続く)

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