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第122回 「臨界状態」に成功

1942年の冬、ローズベルト大統領はフランスの親ナチ政権のダルラン司令官と秘密裡に和平交渉していたことが明るみに出、「ローズベルトはファシズム勢力と妥協した」と新聞紙上で非難されました。

12月、シカゴ大ではフェルミを中心として念願の小型原子炉が造られていました。そして懸案であった、史上初の「臨界」に成功しました。臨界とは、原子核分裂の連鎖反応が一定の割合で継続している状態を言います。連鎖反応が継続しなければ爆弾にはなりません。これで原子爆弾完成が一歩現実化しました。
ウィグナーは事前にお酒のキャンティを用意していました。いつも気の回る男でした。そして喜びながら皆に注ぎまわりました。物理学者達が浮かれ騒いでいる中で、シラードはフェルミに握手しながら言いました。
「この日は、人類の歴史における暗黒の日として語り継がれるでしょう」
その集団の中に、後に広島原爆投下を撮影するハロルド・アグニューも居ました。

日本では仁科芳雄を中心に原爆開発を命じられていました。仁科はかつて5年間コペンハーゲンのボーアの元で自由な学問を学んでいました。教え子に湯川秀樹や朝永振一郎がいます。
しかし理論と構造は分かっていても、実際原料のウランが全く足りませんでした。日本には高価なウランを購入する財政的余裕がなかったのです。(続く)

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