第98回 宮中に落雷と醍醐天皇の崩御
延長8(930)年正月、任官の沙汰があります。紀貫之(59歳)は土佐守に任じられました。古今和歌集の撰進も終わりましたが、身入りの良い国司業もしなくてはいけません。一方、平将門(28歳)は京で思う様な官位が貰えず、坂東に帰っていきます。そして伯父達と揉め反乱に繋がっていきます。
正月13日、陽成上皇(63歳)の同母妹・敦子内親王(年齢不詳)が亡くなりました。上皇にとっては父母も亡く、同母弟も6年前に亡くなり、最後の同母兄妹でした。異母兄弟はまだたくさんいましたが、やはり一緒に住まなければ感情は湧かないでしょう。
2月には、義母の伊勢と恋仲になっていた敦慶親王が44歳で亡くなります。二人の間に生まれた姫は中務という歌人になっていきます。
さて、その年は雨が降らず旱魃の様相を呈していました。
6月23日、清凉殿で、醍醐天皇(46歳)も同座して清雨の件で会議していました。すると午後1時半頃、突如黒雲が近づいてきた大きな雷が清凉殿に落ちたのです。そして大納言藤原清貫(64歳:業平の外孫)は着衣が焼け、右中弁の平希世(まれよ:年齢不詳)は顔面に直撃し、二人ともまもなく亡くなりました。
醍醐天皇は身近で見ていて、衝撃の余り倒れ込みそのまま寝込んでしまいました。人々は勿論、道真の怨霊だと怖れました。もう道真の死から27年経っていましたが。
左大臣の忠平(51歳)はほんとに幸運な事に無事でした。陰でいろいろ悪事をやっているのに。
死期を悟った醍醐天皇は、8歳の東宮の補佐として、今や、余り信頼してない筈の忠平に頼むしかありませんでした。東宮の母穏子も今は亡き時平でなく幼い朱雀天皇の後見として、この兄を頼るしかありません。
9月22日に譲位をし29日に崩御されました。「延喜の治」ともてはやされましたが、後半生は道真の怨霊に常に悩まされた人生だったのです。
念願の摂政になった忠平には最後の仕事がありました。亡き時平の長男保忠(41歳)が中納言として迫ってきているので亡き者にする事です。(怨霊の圧迫で6年後亡くなります)
ところで江戸時代に大坂の竹本座が『菅原伝授手習鑑(てならいかがみ)」公演し、今までの不入りから大入り満員となりました。
人々は主人公の道真に同情し、悪役の時平を憎みました。そして時平に与する悪役として三善清貫(道真に右大臣返上を示唆した三善清行と藤原清貫をミックスした名)と道真を裏切る平希世が、報いとして亡くなります。
しかしこれはどうでしょうか?「死者に鞭打つ」というか「二次被害」ではないでしょうか?お気の毒に雷死したのを更に何百年もなぶり者にしているのです。テレビで観ましたが、二人の顔は勧善懲悪の元に当然醜悪に描かれています。陽成上皇の退位の真相と合わせて、何とか二人の名誉を回復したいものです。(続く)