第77回 「若菜」の帖、執筆開始
斎院の選子内親王から香子に手紙が来ました。
「皇太后様(彰子)をお慰めできるのは紫式部様しかおりませぬ。何とぞ新しい物語を書いて下され」
夫を亡くした彰子、弟を亡くした香子。10年前、夫を亡くした悲しみを癒すためにも本格的に書き始めた『源氏の物語』。今また再開するのです。
香子は京を離れ、あの蜻蛉の君も参籠したという、琵琶湖が見える石山寺に籠る事にしました。
今でも、石山寺には「源氏の間」というのがあって執筆する紫式部の人形が飾ってあります。
「須磨・明石から書いた」とありましたが、どうでしょう。諸説ありますので私は第二部の開始から書いたのだという説にします。
悲しい時には、悲しい話が合います。歌謡曲もそうです。悲しい時に、楽しい歌は歌いにくいです。
「空しさ、儚さを描きたい」と香子は思いました。源氏の悲しみ、紫の上の悲しみ・・・
「藤裏葉」で絶頂に昇った光源氏。しかし光源氏は若い時の自分の罪のしっぺ返しをまだ受けていない。
香子は、『万葉集』の中で、穂積(ほづみ)皇子が若い頃、太政大臣である高市(たけち)皇子の妃但馬皇女と密通をした。しかし今度は自分が老年になって迎えた若い妻、大伴の郎女(いらつめ)に別の男と密通されるという話を見つけました。
四十の賀の際に、源氏は若い妻を娶る。その妻は・・・
やはり藤壺の血を引く者でなければならない。藤壺の異母妹を香子は設定しました。
「藤壺に妹がいたなんてと皆は言うかしら?妹がいたのなら源氏が見逃す筈はないと・・・まあ仕方ないわ」
藤壺の異母妹が朱雀院との間に産んだ皇女。その皇女と結婚させるのです。
皇女の名は・・・
ここで香子は若い頃、権力者兼家の要求で無理やり降嫁させられ1年で亡くなった「女三宮・保子(やすこ)内親王」の事を思い出しました。
皇女の名は「女三宮」で行こう。香子の筆は進むのでした。