第29回 平清盛(5)
ライバル源氏も倒し、また後白河上皇からも二条天皇からも信任厚い清盛はどんどん出世していきます。上皇と天皇は親子なんですが、一緒に余り暮らしていなかった事もあり、仲は良くなかったようです。
元々、鳥羽法皇が愛する近衛天皇が17歳で崩御した後、孫の守仁親王(二条天皇)を即位させようとしていたのですが、父親の雅仁親王(後白河)が生きているのにそれを飛ばせないという事で、いわば繋ぎで後白河天皇は即位した訳です。後白河天皇と言えば、幼い頃から今様三昧、喉を割る事、三度以上。更に鳥羽法皇にとっては、祖父白河法皇と密通の噂のあった(本当の様です。学者が実証)璋子の産んだ皇子だったからです。(崇徳上皇と違って後白河天皇は鳥羽法皇の実子だった様ですが)
そんな事情をもちろん二条天皇も知ってて、僅か2年で譲位した、自分を愛してくれず他の女性を愛する後白河上皇には懐けないのでした。
そんな二人を清盛は上手に操り、また宋との貿易にも興味を示します。
1165年には狭くて事故が多かった音戸の瀬戸を開削します。前にも書きましたが、いまだに現地の人々が清盛に感謝しているのが分かりました。
1167年50歳の時に従一位太政大臣に昇り詰めます。ところが翌年大病をして出家します。しかし抜け目はありません。見舞いに訪れた後白河上皇に、妻時子の妹が産んだ皇子の即位を約束させます。8歳の高倉天皇でした。だいぶ後で、平家への熱も醒めた後白河法皇は「あれは仮病だったのではないか」とも言っています。(続く)
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