第4回 朱雀院(4)
天慶7(944)年4月、朱雀天皇(22歳)に皇子が誕生しない事もあって、東宮に弟宮の成明親王(19歳)がなりました。これは母后穏子(60歳)の承諾もあってのことでした。
2年後の天慶9年の正月、朱雀天皇は正装して母后穏子の元に新年挨拶の行幸をしました。穏子はとても喜び、
「まあご立派な事。東宮も早くこうなってほしいわね」と言いました。
帰ってから、病弱な体質から何事も深刻に考える性格となっていた朱雀天皇は近くに伺候していた大納言師輔(39歳)に母の真意は何だろうかと尋ねてしまいました。尋ねた相手が悪かったのです。というか、師輔は日頃から娘が妃となっている東宮を即位させる機会を窺(うかが)ってよく現れていたのでした。
師輔は、やったと思いながらも表情は深刻に答えました。
「それは母后様は東宮様に早く帝位についてほしいとお考えなのではないでしょうか?」
「そうか」
そして師輔は誰にも気づかれない様に動き、ついに4月20日、朱雀天皇の譲位、そして28日に念願の東宮即位を挙行させてしまいました。
寝耳に水の母后穏子は驚き、「私はそんな積りで言ったのではないのに」
と言われたものの、もうどうしようもなく朱雀上皇は後悔したそうです。(以上『大鏡』の話) (続く)
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