第39回 若紫の設定
現在、「若紫」の帖は『源氏物語』の5番目に設定されていますが最初は「桐壺」の次だったという説があります。「空蟬」や「夕顔」は後から挿入されたものだということです。
そうするとほんとに最初から若紫の存在が構想に入っていたという事です。
苛めぬかれて若くして亡くなった、光源氏の母桐壺。桐壺とそっくりだと聞かされた父の后ー義母の藤壺。藤壺を恋い慕いますが、禁断の恋に源氏は悩みます。
18歳の時、北山の「なにがしの寺」に源氏は療養に行きます。この辺り、後で挿入された、夕顔の死のショックを癒すためとうまく繋がれています。
香子には母方の曽祖父で文範という人がいて78歳で若い女性との間に子を作るという壮健な老人でしたが、北山に山荘を持っていて香子が27歳まで生きていました。香子は牛車で何度かそこへ行った筈です。その山荘は大雲寺になったのではないかという事です。
さて香子の愛読の『伊勢物語』の初段にある歌「春日野の若紫のすりごろも しのぶのみだれかぎり知られず」は紹介したでしょうか。ここから「若紫」を取った可能性があります。
桐壺ー藤壺ーそして若紫と繋がる紫のライン。寺で発見した少女は実は藤壺の姪で、母を亡くし、父兵部卿の宮には恐い正室がいる。
兵部卿の宮というのは、現実に香子の父為時の従兄弟に「兵部卿の宮章明(ふみあきら)親王」という風流な皇子がいたそうです。
光源氏18歳、若紫10歳。すぐに連れ帰ろうとしますがさすがに若紫の祖母が拒否しますが、その祖母がまもなく亡くなった事をいいことに源氏は自分の二条院に若紫を連れ帰ります。今なら少女誘拐で犯罪者ですね。
更に若紫14歳の冬。源氏はついに若紫を女にしてしまいます。数えで14歳ですから満で12か13。中学1年生ですからこれも淫行罪です。
紫式部はこの辺りを「ある朝、女君が起きてこない日があった」と喪失の悲しみをきれいに描いていると言われます。
それ以前に藤壺とついに一線を越えてしまい、しかも皇子が生まれるという流れです。
ところで『源氏物語』前半の若紫ー紫の上は「薄っぺらい。魅力がない」と読者に不評ですが、後半、驚くべき悲しい魅力を出してきます。
「若菜」の帖。源氏40歳、紫の上32歳。源氏は同じく藤壺の姪にあたる14歳の女三の宮と結婚します。今まで正室扱いだと思っていた紫の上は自分より身分が高い皇女の降嫁に正室の座を追われます。周囲の同情とも好奇ともいえる眼差し。しかし落ち込んだ様子を紫の上は見せません。仕える女房にさえ溜め息の声が聞えぬよう神経を使います。
女三の宮が予想以上にがっかりした姫で失望した源氏は、調子よく「やっぱり貴女の方がいい」ときますが、紫の上は分かっています。
「やがて向こうが20歳を超えたらどうなるか分からない」
その不安は的中します。『源氏物語』に、源氏が21歳になった女三の宮の方に泊る日が増えてついに月の半々になったとあります。このままでは逆転されるのは目に見えている。
しかし紫の上に他に帰る実家はありません。葵の上や夕霧の妻雲居の雁がでんとしているのはしっかりした実家があるからです。雲居の雁は夕霧の浮気が本気だと分かると実家に帰ってしまっています。
そして7年の苦渋の生活についに紫の上は倒れます。源氏は付きっきりで看病し、場所を変えようという事で当時住んでいた六条院から元の二条院に紫の上を移します。しかしそれはまた取り残された女三の宮の元へ以前から慕う柏木が訪れて思いを遂げ、その証拠の手紙を女三宮が不用意に置いていたのを源氏が発見。源氏は二人に会えばねちねちと嫌みを言い、ついに柏木を病死、女三の宮を出家に追い込みます。自分は若い時に義母を犯すという事をやっているのに。
女三の宮が薫を産む時、源氏は父桐壺院を思い浮かべます。「父上は知っていたのだろうか」-桐壺院が実は知っていた、いや知らなかったは、今でも読者の議論が分かれる所です。ところでそれを隠し通した藤壺を「意外とワル」ですね、とその冷静さに感心する読者もいます。(長くなりました!)