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第10回 冷泉院(5-最終)

冷泉天皇が譲位した翌年、970年に紫式部が誕生し(今井源衛先生説)、特に接点はなかったでしょうが、周囲から冷泉上皇のかつての奇行はよく聞いていたでしょう。
不義によって生まれた天皇ーそれを現存の冷泉天皇とするというのは、驚くほど大胆な行動ですが、それが許されるほど、人々が軽く見ていたというのを式部も見抜いていたのでしょう。

上皇となってからの冷泉院は特筆する事はそれほどありませんが、皇子はたくさん儲けています。天皇時代の花山天皇を始め、三条天皇、為尊親王、敦道親王など。みなそれなりに(?)有名な方々です。
ある時、冷泉院の御所が火事になって心配した息子の花山法皇が見舞いにきた時、冷泉上皇はいつもの様に(?)大声で歌っていたと人々は驚いています。
寛弘8(1011)年10月24日、冷泉上皇は62歳で崩御されたのですが、ちょうど11月に息子の三条天皇の大嘗会が予定されていたのですが、当然延期されて、『大鏡』には「をりふし」ー折悪しく亡くなられた事よーと亡くなってまで、さんざんな書かれ方です。
紫式部は『源氏物語』の中で、冷泉天皇を光源氏と同様に美貌の方と描き、18年在位して貰いました。最初、子がいない設定でしたが、上皇となってから1皇子2皇女に恵まれ、平穏な日々を送っています。また光源氏が実の父と知って、お互い親密に付き合っています。(「鈴虫」など)
これも紫式部の実名を使わせて貰ったお返しの「優しさ」でしょうか?(続く)

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