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第43回 明石の君(4)

孫の、明石の姫君が東宮の女御になって第一皇子を出産した後、明石に居た入道は「宿願が達成された」という事で、僧1人、童子2人を伴って深山に入って行くという手紙を妻の尼君に送ります。
「冥途で会おう」という内容に尼君らは泣き崩れます。まだ新東宮になるかどうか分からないのに、えらく早めに行動したなあという感じです。それにお伴を連れていくというのは、自殺という訳でもないのかなあと疑問が残ります。それに「若菜上」でこの記事があった後どうなったか書いてあるようなないような、見落としたかも知れないので分かったらお教え下さい!

まあ入道は、源氏の母桐壺と従兄妹で、入道の父は大臣であったというし、桐壷の父は大納言で、それなりの家柄だったのですね。だから映画や『あさきゆめみし』などで弘徽殿の女御から「身分低い」「いやしい」などではないと思うのですが・・・桐壺の更衣の臨終の時も言いたい事があって、「源氏を東宮に」と本当は言いたかったという文面の解釈もあり、とにかくこの一族には「我が一族から東宮を」というのが本当に宿願だったのですね。

個人的な話ですが、私が淡路島出身ですが、明石高校に行って、職場も40年以上明石だったので、明石が出てくると懐かしい感じがします。
紫式部が愛唱した明石にまつわる歌が柿本人麻呂の
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に 島隠れゆく舟をしぞ思ふ」
は『源氏物語』に3度も引用されているようです。明石高校の校歌の冒頭も
「ほのぼのと明けゆく空や雲のいろ 島山のかげは清し・・・」
で馴染み深いです。朝霧中学校にも勤務した事ありますし。

ところで明石の姫君は3男2女の皇子女を産み、中宮にもなります。
可憐でしおらしかった姫君も中宮になって、3男の匂宮が、宇治の八の宮の姫、中の君と結婚したいと言った時、後見がないという理由で反対しますが驚くべき事を言います。
「そんなに好きだったら私の元へ女房として出しなさい。そしたら自由に会えます」
明石の中宮は、兄左大臣夕霧の娘六の君との結婚を勧めている(結局結婚しますが)のは分かりますが、考えたら光源氏と八の宮は異母兄弟。中宮と中の君は従姉妹になります。八の宮は弘徽殿の女御が、藤壺が産んだ東宮(後の冷泉帝)に一時替えようとした皇子です。結局それは成らずに八の宮は世捨て人みたいになってしまいますが、世が世ならどうなったか分かりません。八の宮が天皇になっていたら立場は逆転しています。

明石の片田舎に生まれたと謙虚だった姫君も偉くなると、発言が変わってきますね。紫式部はそれを計算して書いたのでしょうか?
そう言えば私の9つ下の大学の後輩でまあまあ話をしていた人がいて、先年教授に昇進したのですが、電話をすると「私忙しいんです。もうあまり電話はかけないで貰えますか?」と言われました。偉くなっても態度が変わらない人もいるし、そうありたいですね!


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