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人形の家 三連連唱歌の調べ[19](短調編)

[19] 人形の家☆☆☆(なかにし礼/川口真、弘田三枝子)
 
「別れの朝」と同様の壮大な旋律で、その歌い出しは実際に「シバの女王」と酷似しています。オーケストラの弦合奏で鳴らすだけなら三連連桁を全部外した旋律線(譜例2段目はその外し方の一例)でもいいかもしれません。でも日本語歌詞を乗せるのならやはり三連連唱が必然的に見えます。

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(↑写真は採譜例です。「原譜」(があるとしてそれ)は不明なままの、あくまで一例です。歌なので本来は符尾を非連桁にすべきですし、拍子も採譜としての可能性の一つに過ぎません。また、適宜オクターブ単位で移動させている場合もあります。その辺りご了承下さい頂きたく…。)


さて、「三連連唱歌論」からはやや脱線しますが、私のお気に入りの作曲家である川口真について少し書きます。四連連唱歌「旅愁〜斑鳩にて〜」(松本隆、布施明)を例に挙げて少し書いてみます。
 
歌い出しは「斑鳩を旅するのなら 春よりも秋がいい あなたが言ってた通りです」、そのしずかな忙しさ、小刻みなゆらぎと起伏…。「う え をむ ー ー い て あ ー るこ ー ー ー う…」とはまったく真逆の、といって、「汽車を待つ君の横で僕は…」とも似て非なる次元の、高密度で雄弁な旋律の躍動があります。後者との違いについてすぐにはわかりづらいかもしれませんが、【旋律線だけを和声無し伴奏無しの単音であえて単調に】例えばピアノで弾いてみる(ことを想像する)とはっきりします。「歌い出し」の比較はさすがに「なごり雪」には不利(苦笑)、でも歌い終わりを比べても、「旅愁〜斑鳩にて〜」の「ああ それは失くした恋の彩りでしょう」の部分の旋律では、たとえ無歌詞であっても【旋律線それ自体が“語るような節回し”を持っている】のに対し、「なごり雪」の「今春が来て君はきれいになった 去年よりずっときれいになった」の旋律は、無歌詞だとまさに「クリープを入れないコーヒー」(古)と化してしまいませんか。もちろん、「なごり雪」のような曲にとってこの事実の指摘は何の不名誉にもならないのだろうとも思われます。あくまで本稿の観点からの、しかしその限りにおいては本質的で有意義な指摘のつもりです。
 
(弘田三枝子盤のAメロの崩しは元の楽譜にはないと予測し、“きれいな”連唱として採譜しました。)
 
人形の家↓
https://www.youtube.com/watch?v=oasgd-PtNYw
(おまけ)旅愁〜斑鳩にて〜↓
https://www.youtube.com/watch?v=-2pdJhjxp3M


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