北の宿から 三連連唱歌の調べ[21](短調編)
[21] 北の宿から☆☆(阿久悠/小林亜星、都はるみ)
☆☆(準連唱歌B)主に準連唱から成るもの。
切分連唱歌の代表曲。「切分(的)」とはシンコペーションのことです。いわゆるAメロ〜Bメロの間は準連唱が続き、しかもその多くは切分的、「寒さ堪(えて)」でやっと単連唱が表れますが、これもまだ切分的です。サビに来て満を持して?「(女)ごころの」の拍頭単連唱となります。そしてここがこの曲の1番のツボであることは論を待たないでしょう。
辛抱に辛抱を重ねた主人公が堪らず激情を吐露するという、その歌詞に、曲が、もたれかかるような切分音型をひたすら連ねたのちについに拍頭単連唱が1度だけ表れる、という旋律構造をもって応えている──本稿の観点からの「曲目解説」としては、このように書けます。
林あさ美の「北の宿から」が残っています。実は本家都はるみはこの曲を意外と淡白に歌うことの方が多く、曲の核心には林あさ美の方がより近づきえているのではないでしょうか。無声音の吐息やギリギリに粘った“崩し”や“溜め”に、並々ならぬ思い入れを感じます。「自分がこの曲を歌うのはこれ1度きりかもしれない」と考えて臨んだ人の歌い方です。「しつこい」「やり過ぎ」「力を抜け」などと言う人もたぶんいるでしょう。でも私は今回、その深い抉り出しに改めて触れ、ふと、作曲者小林亜星自身が製作に関わった、天満敦子によるヴァイオリン独奏版「北の宿から」を想起し、通ずるものがあるように感じました。
ここでの都はるみと林あさ美の対比は、クラシックでいえば、毎年年末には第九を振れる日本のベテラン指揮者と、第九なんてめったに振る機会がなく、日本への客演で振れることになって俄然気合いが入る(入り過ぎる?)ヨーロッパの若手指揮者との対比のような感じです。幅のある鑑賞耳を育み、この双方ともを愛でえること、特に、後者の良さ(があったときにそれ)を逃さず見いだせること、それこそが鑑賞の愉悦であると私は考えます。
都はるみ↓
https://www.youtube.com/watch?v=QKmma_bRdQE
林あさ美↓
https://www.youtube.com/watch?v=_8-vtPIwyI0
↑写真は採譜例です。「原譜」(があるとしてそれ)は不明なままの、あくまで一例です。歌なので本来は符尾を非連桁にすべきですし、拍子も採譜としての可能性の一つに過ぎません。また、適宜オクターブ単位で移動させている場合もあります。その辺りご了承下さい頂きたく…。
補足:「定義集」の全文再録は長くなるので控えますが、語義について少し説明しておきます。「拍頭の音を1個しか含まない連続音」を準連唱といいます。「北の宿から」で言えば「変わりは(ないですか)」「(着ては)もらえぬ」などが準連唱です。「拍頭音がちょうど2個」含まれれば「単連唱」で、その長さは4連唱から8連唱まで幅があります。「寒さ堪(えて)」は、「ら」の伸ばしが拍の途中からなので「長さ5の切分的単連唱」です。それと異なり、開始と末尾がともに拍頭である連唱を「拍頭連唱」といいます。「拍頭連唱」は三連連唱の要で、最も安定した、いわば“強い”連唱です。「北の宿から」では「(女)ごころの」が唯一の拍頭連唱です。なお、連唱の個数は、特に断らない限り、曲全体ではなく1コーラス(1番)のみの中で数えています。
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