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ポイズン
登山にでも行くのか?くらいの重たいリュックを足の間にドスンと置いて、助手席でシートベルトを締める。カチャリ。
真っ黒ではない程度に染めたショートボブな姉は、運転席と助手席の間に仕事用カバンを置き、ハァーっとため息をつきながら発車する。
カーステレオからは、姉の好きな洋楽。メイヤやブリトニースピアーズやカーディガンズやが流れて、英文科卒の彼女はときおき口ずさみながら。
くねくねと山道をおり、大きな国道へ出て、二つ目の信号あたりにひっかかると、姉はカバンをガサゴソとして、マルボロとライターを取り出す。
10cmくらいパワーウィンドウを下ろし、カチッと火をつけて、細く長い息をフーーーッと外へ吐く。
制服姿で朝イチの小テストの勉強をしながらいる助手席の私を一瞥し、
「なんのテスト?」
と、めんどくさそうに外へ灰を落としながら。
「古典。単語の小テ。」
「ふぅーーん。…ハァー、今日朝一で行かなきゃいけないお客さん、嫌なんだよなぁ…」
姉は、私の通う高校の近くの会社で、事務機器の営業をしていた。当時の女性の営業マンはその業界では珍しく、お客さんまわりをするだけなのに「女か」と理不尽な扱いをされることも多かった。姉はそれでも、唇を噛みながら、朝から強いタバコを吸って、時には深くお酒を飲みながら、男社会の中で踏ん張っていたのだと思う。仕事をはじめてから、姉は明らかに痩せていっていた。
この交差点では右車線に入っていること、あの青い車は遅いからこの辺で追い抜いておくこと、通勤時間帯の道路事情を心得ながら、姉はハンドルをきる。そして、学校の前の信号の赤信号のタイミングで素早く「いってきます!」と言って降りるのが私の登校方法だった。
「古典、頑張れ〜」
と言いながら、姉はハザードランプを三回点滅させる。私は、登山でも行くくらいの気持ちで、ズッシリと重い教科書を背負い、横断歩道をわたる。朝の国道は混んでいて、その運転手たちは姉と同じような空気をまとっているように見えた。
今日の授業の予習と課題と小テにいっぱいいっぱいな私と、社会に揉まれ、なにが夢だ、コピー機1台売るために、愛想笑いを貼り付けて嫌味な客のもとへ足繁く通う姉。
制服についたタバコの匂いと、洋楽を聴きながら覚えた古文単語、あぁそうだ今日は午前中に数αもあるんだった…鬱。
「柊~、おはよーっ!」
朝からマミコはテンションが高くて、
「柊、見て見て。昨日買ったの、可愛くない?」
とレインボーカラーのふわふわキーホルダーを揺らす。
「かわいーっ」
頭にはアメピンがバッテンにとめてあって、唇をほんのりテカらせながら、隣を歩くマミコは、それでも片手に古文の単語帳を持っていて、
「やばい、1限目だよね、古典」
と、いきなり真顔になるのが可笑しい。
そうだ、私はまだ高校生なんだから。
教室の後ろのほうから聞こえる
「いいたいこともいえないこんなよのなかは~♪」
という歌声に、みんなで
「ポイズゥーーン!」
とレスポンスして笑っていた。