あなたを傷つける人には。
ある日、学校へ行くと、クラスの全員が私と口をきかなくなった。
ある子は目を伏せ、ある子は明後日の方を見て。私は、その日から、いないものみたいな扱いをうけた。『集団無視』だ。
「なぜ?なぜだ」
理由のわからない不穏な空気。仲のよかった友達まで、隣の席の男子まで、固く口を結んでいた。
授業が始まり、隣の席の子と交流の時は、必要最低限に、笑顔もなく話す男子。何かに怯えるように。
休み時間に、いつも一緒に話していた友達は、来ない。教室の後ろで集まって、何やらヒソヒソと、時に笑い声まであげて。
それから1ヶ月、『集団無視』が続いた。
最初のうちは、辛くて悲しくて寂しくて、不穏な空気が気持ち悪くて仕方がなかった。
「なぜ?どうしてこんなことに?」
ばかりが頭を巡る。ともすればいつでも泣ける、ギリギリの顔で、教室にいた。
それでも、私は学校へ通った。
なぜなら、
と、家で姉たちや母が、その状況をボロくそに罵った。
「いつでも言いにいってやる!!」
母や姉たちのたくましさといったら。
学校に1人も友達がいなくても、家に帰れば守ってくれる人たちが、とてつもない勇気になった。私には、私を無視する子たちに、怒りをこめて罵ってくれる姉たちや母がいた。
味方がいた。
私はただ勉強するために、堂々と学校へ行った。『集団無視』されながら。
そのうちに、チラッとこそっと話かけてくれる子が出てきた。何かに隠れるように、コソッと話してくれる子。笑いかける子。
彼らは隠れていた。
「柊ちゃんを明日から無視しよ」と決めた、クラスのボス的存在の女子A、とその脇をかためるB およびC から。
ボスA は典型的な「いじめっ子」だった。
気に入らないことがあると、標的をさだめ、周りを従えて『集団無視』をする。通りすがりに筆箱を落として「ごめーん」みたいな嫌がらせを、楽しんでいるように見えた。周りは皆、標的にならないように、気をつけていた。
田舎の、幼稚園から小学校、中学校まで同じメンバーの50人ちょいの集団の絶対的なヒエラルキー。
昨日まで仲良くしていた友達も、ボスAやBとCの言うことをきく。理由などなく、「アイツ無視しよ」の一言がそうさせた。
そして、標的はとうとう、私の番になった。
「気に入らない」のだ、ボスAは私を。
「アイツ無視しよ」にことごとく従わずにいた、チビな私に。なんなら、彼女が好きになった転校生が、私と仲良くしていることも。
ボス、めんどくせ。
で、ボスに従うのも。
いいかげん、もうさ。
私は腹を立てていた。嫌気がさしていた。
友達が、私よりも、AやBやCの言うことをきくことにも。この不穏な空気にも。田舎で、閉鎖的で、進歩のないコミュニティにも。
無視されるのは腹がたつ。人を無視するようなそんな奴らは、こっちから無視してやる。
そう思うようになった。
「一緒に帰ろ」と言われても、
「嫌だ、1人で帰る」と1人で走って帰った。
私を無視する友達なんていらない。
そうした態度でいるうちに、以前に休み時間ごとに話していた友達も、AやBCたちの目を盗んで話してくれるようになった。「あの子ホントやだ」と本音をこぼすようになった。
それは、今までの標的にはない行為だった。
標的はだまって、ボスたちが「気が済む」もしくは「飽きる」または、次の標的が現れるまで、おとなしくしているもの、だった。
「アホらしっ」
姉たちの声が私に勇気をくれる。
1人でも大丈夫だ、家に帰れば味方がいる。『無視』されるくらいなら、こっちから無視してやる。
そうこうしていたら、友達が休み時間に話してくれるようになった。
「ごめんね、柊。」
私への『集団無視』はそうして終わった。
私は、
自分の友達は自分で選ぶ。
私を傷つけて平気な友達など、いらない。
私の子どもたちや夫もまた。
理不尽な扱いをされた、辛いことを言われた、腹立つヤツがいる、そんな状況へ私は、
とことん悪口を言ってやる。
毒舌に罵ってやる。
悪口は言っちゃダメですよ、な世の中かもしれないが、この家の中であれば治外法権なのだ。ムカつくやつに、だまっていなくていいのだ。悪口言えばいいのだ。罵ればいい。
本音で嫌なものは嫌だと、ムカつく!!と。
この家ではいいのだ。私が許す。
私は、
私の母や、姉たちのように、悪口を言って罵ってやる。
この家では、いいのだ。私が許す。
人は、逃げ場があれば、勇敢にもなれる。
悪口は、言えばいい。
この家では、とことん、言えばいい。
1人で「あっかんべー」するのは辛いから、ここでみんなで「あっかんべー」してやる。
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