藍に会いに。
レンガや素焼きの欠片たちが、窯の口から掻き出されていく。
待ちに待った窯出しの日。
110時間昼夜、赤松の薪をくべ、燃やし、六連房の登り窯を焚いて。
ゆっくりゆっくりその温度を下げ、一週間。
サナギからかえった、釉薬をかけた、それぞれの個性豊かな作品たちが羽化する。
たくさんの人に見守られ、手から手と、大切に赤子のように祝福されて。
「わぁ、すてきね」
「おもしろい」
「かわいいね」
一つ一つの作品は個性豊かで、その一つ一つを皆が大切に扱う。
造り手たちの集まりは、とても気持ちがよい。年代は私の母親と同じ世代や、やや若い世代がほとんどで、とても穏やかに和やかに何千という作品を取り上げた。
二房目に入れていただいていた私の絵皿も。
素敵な藍色が出てくれた。
やっと会えたわが子みたいな、もう割れたりせずに焼けてよかった、どころか、大好きな藍色の濃淡に、抱きしめたくなった。
隣県より、移住希望の女性が話しかけて下さって。こちらに住みながら、作陶に没頭したいのだというその女性は、サッパリとした物言いの、同世代か少し上かくらいの方。
普段地元で「陶芸教室」のようなところへ通っていても、和気あいあいとしすぎていて、女性ばかりでわちゃわちゃとにぎやかすぎて、雰囲気が合わないのだと、いう。
それよりも、ただ黙々と技術をもっと向上させたいのだ、とご熱心で。
この工房は、冬場は生活水も凍ってしまうほど冷えますし、雪も降りますので、ロクロ教室は毎年春のくる四月からなんです、とお伝えする。土も寒ければ言うことを聞いてくれないのだ。
けれども土を扱う姿勢は、みな真摯で、和やかな中にも、没頭できる環境だと思います。私もわちゃわちゃした雰囲気は苦手で…、
と話すと、彼女は驚いたように、
「話しやすくてどこでもやっていけそうな、人付き合いの上手な方だなと思ってました」
とおっしゃった。
変に気を遣って疲れてしまうので、やりたいことをやる時は、知り合いのいない環境の方が没頭できたりするんです、となぜだか。
初対面の方に、そんな率直なことを吐露してしまっていた。変な気は遣いたくない。
「わかりました。
春までにいろいろを整えて、四月のロクロ 教室にぜひ来ようと思います。」
こんな田舎にも、移り住んでまで魅力を感じてくれる方もいるのだと思うと、くすぐたいような誇らしいような嬉しさが湧いた。
他地区で作陶されているグループの方たちや、工業高校の専攻科の方たち、体験で干支の置物や狛犬を造られた方たち、普段なら決して出会うことの無い方々が、ひとつなぎに作品を手渡していく。
隣にいたひょろりと所在なさげな青年と、丁寧に手渡しながら、ちょこちょこ「すごいね」とか「これいいね」とか言い合いながらも、この子はどうしてここにいるのだろうと思いながらいたけれど。
帰り際、聞けば大学で、卒論を「歴史的町づくり」のようなことをテーマにしているらしく、取材も兼ねてなのだという。
両手に持った彼の造った湯のみは、彼の姿勢に似た、実直な佇まいをしていた。
志野、織部、黄瀬戸、天目、海流し、白萩。
斬新なカットの抹茶碗や、スラリとスマートでその曲線が美しい花器、雄々しい龍の置物やセンスの最先端をいくオブジェなど。
大切に。
手から手と、取り上げられた赤子のように。
造り手たちの、安堵や笑顔が溢れていた。
家に帰っても、
赤松の煤の香りが体に染み付いていて。
孤独な造り手たちの、
ひとときのふれあいは
とても香ばしい。
いつまでもクンクンしている。
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