はだかんぼうたち。
6月なのに本格的な暑さになると言っていた日、それでも一階のこの部屋は26℃で、ちょっと暑いな…と思いながら、スマホに向かってお喋りをしていた。姿は見えないけれど、声と、中身を知っているno+eのお仲間がその先にいる。
海の近くに住む青年は、扇風機をまわしても30度を超える部屋で、上裸で。
コロコロと可愛らしく笑う、やわらかな関西なまりの女性は、すでにエアコンを入れた部屋で。
すっかりくつろいで、まるで学校の休み時間みたいに、とりとめのないお喋りをするうちに、暑いから服を着ないでもいいよねという流れになって
「みんながみんな服着てなくて裸だったら、
あんま気になんないかもしれないよ」
「一ヶ所だけ隠していいよってなったら、
どこ隠す?」
途方もない問いが生まれてしまった。
私は、この手の「もしも…だったら?」を考え出すと、どんどん思考が止まらなくなってしまう。
銭湯やお風呂屋さんへ行くと、みんな裸で、隠していたり隠していなかったり、でもみんな裸なんだから、そこまで恥ずかしく思うことはない。
同じ裸でも、みんなが服を着ていて、自分だけが裸だったりしたら、とんでもなく恥ずかしい。
そんなときは、きっと、身体の一部なんて隠さずに、顔面を覆いたくなる。
みんながみんな裸だったら、それが当たり前な社会だったとしたら、辱めを感じることはきっとないんだろうな。
ただ服装で表現されているような、
『よく見せたい』という欲求は、じゃあどこで補っていくことになるんだろうか。
筋肉とか?
体毛とか?
モノの大きさとか?
流行り廃りがあるのが世の常だとしたら、流行りの広背筋とか、胸筋のバランスとか言い出すだろうか。
そしたら、眉メイクの遍歴に見るように、体毛も『濃いめ』とか『美トライアングル』とか言い出すだろうか。
モノだって、外観をいじるようになるだろうか。
流行りのバナナ型とか、ナス系がモテるとか言い出すだろうか。
色合いだってきっと『ピュアピーチ系』とか『ワイルドブラウン』とか『大人ローズ』とか言い出すだろうか。
服を着たら着たで、脱いだら脱いだで、きっとみんな一緒の安心感の中にピリッと個性を出したくなってくるのかもしれない。
それでも、どんな見た目でもきっと、話してみたらすごい気が合うなー、とかあるものだから。
私の、こんなにもとりとめもなく、くだらないおしゃべりに、いつも楽しく付き合ってくださるno+eのお仲間さんには感謝しかない。
はだかんぼうがいいね。
スタエフお付き合いありがとうございました🥤
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