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スピリチュアルなことについて。

スピリチュアル(spiritual)

[名]米国で、民衆の中から生まれた宗教的性格をもった歌。ブラックスピリチュアル(黒人霊歌)・ホワイトスピリチュアル(白人霊歌)・ゴスペルソング(福音賛美歌)など。
[形動]精神的な。霊的な。宗教的な。「スピリチュアルな世界」

コトバンク より

私の人生において、スピリチュアルなことって結構ある。霊感は強くないし(幽霊は見たことがないし)、謎のクジ運とかもないし、ロウソクの火が急にボワッてなったりとかいう怪奇現象に出くわしたことないけれど。

なんというか、「八百万やおよろずの神」みたいな存在を感じたりすることはある。

というか、信じている。

雷が鳴れば、おへそをかくしたり。
朝に蜘蛛に会えば、珍しいお客さんが来るとか、お盆には水辺へ行かないとか。
北枕では寝ないし、畳のヘリは踏んだりしない。

祖母は、俳句を嗜み、お月見にはススキや団子をお供えしたり、風情を大切にする人だった。

父は、信心深く氏子うじことして正月には伊勢神宮へ参るような人だったから、物心つくころから「御神酒」はいただいていた。(未成年?なにそれ?)


そういう家柄だったから、私が中学生のころ「偏頭痛」に悩まされたことの原因は、スピリチュアルな要因が有力となった。ちょうどその頃、一番上の姉が何度も車をぶつけたり、事故したり(本人の不注意ともいうと思うのだけれど...)、母の子宮筋腫が見つかったりして、これはもう『お祓い』へ行くべきだ!ということになった。
(だって検査にばっかりお金がかかってしょうがないんだもの…。)

当時、「よく当たる」という霊能者が、実家からさらに山奥へ車でひたすら一時間半ほどいった村にいるとのことで、私と母と母の妹(スピリチュアル系にとても詳しい)と三人で通った。

そこで言われたことには、今の実家は、私が中学へあがるころに建てた家なのだけれど、その土地が問題だという。
いわく、その土地を治める氏神様の神社に関わる土地で、母と姉と私に、それぞれそこにあつまる無縁仏が憑いてしまっている、のだとか。

私の偏頭痛はいつも左側で、左側半身もなんとなくずっとダル重い感じが続いていたのもあり、「霊がついている」と言われれば容易に信じられるくらいに謎の不調だった。

お地蔵様をたてなさい。
東向きに、玄関の西側に。

村の霊能者のお言葉

言われるままに、父の知り合いの石屋さんにお地蔵様をたててもらい、性根を入れてもらい、我が家はしばらく、玄関脇にお地蔵様のある家になった。

それから私と姉と母が、効果覿面に不調が改善されたかと言われれば、楽になった気もするし、気のせいかもしれないし、くらいの日々になった。けれども母は、ずいぶんと気が楽になったようだった。納得できた、ということかもしれない。

そうして四、五年が過ぎた頃、母が交通事故をして、私がまた謎の体調不良を抱え始めた。再び、スピリチュアルな要因が疑われ、久しぶりにあの村へ出向いたのだった。

お地蔵様の写真を撮ってきてください。

村の霊能者のお言葉

父は新しいデジカメで写真を撮り、プリントアウトして、霊能者へみせた。
その写真のお地蔵様の周りには、雪も降っていないのに、白い玉ボケが幾つも写っていた。

あぁ、やはり。
近所の方々がお参りをしてくださるうちに、色々な無縁仏が集まってきてしまっています。居心地がよすぎる単なる溜まり場のようになってしまっています。
性根を抜き、お地蔵様をはがしましょう。

村の霊能者のお言葉

早々に父の知り合いの石屋さんに頼み、無事にお地蔵様は供養していただいた。母や、私の不調がよくなったかと言われば、そんな気がする、くらいなものだったけれど。

ただ、そういうことはきっとあると思うのだ。
土地の神の仕業、だとか、祟りだとか。

私はやっぱり、目に見えない力、というのは存在すると思っている。

父が亡くなった時、とても悲しかったけれど、どこかちょっと救われたのは、そういったスピリチュアルな繋がりを信じているからかもしれない。

信心深い父のことだから、気がかりなことがあれば、蜘蛛やトンボやカエルの形を借りて、様子を見に来たりするだろうもの。

                           お盆にホバリングするオニヤンマ

「お父さんが来てるね。」

と突然の珍客に、口々に言うくらい生活に溶け込んでいるスピリチュアル具合なのだ。

そう、夢だって。

私はよく夢を見るのだけれど(それもだいぶ変な夢でよく覚えている)なんとなくスピリチュアルなメッセージを感じたりすることがある。

吉本ばななさんの「夢について」というエッセイに、遠く離れた友だちが夢に出てきて、実際にその友だちと七年ぶりに突然、連絡をとることになった(だいぶ掻い摘んでしまったけれど)というような話があった。「思い」の方が先に届いて夢を見させたのだ、というばななさんの解釈がとても好きだった。以心伝心というか、いろいろを超えて伝わる力というのが、夢にはあるような気がしている。

そういう力を信じていたい。

そう思うから、今夜も。
優しい夢をみられますように...
と枕を三回なでて眠る。

おやすみなさい。


科学的根拠とか知らない…。









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