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だいたいうまいこと行き過ぎていた

カチャリとルームキーをデスクに放り、コンビニのレジ袋を置いて、ドサッと座る。

「つっかれた」

ため息と同時に声が漏れたとて、ビジネスホテルのシングルの部屋に、誰が聞いているわけでもない。

薄いビニルの線をペリリと剥がし、薄ピンクの細い1本を取り出し、咥えて火をつける。カッチと玩具みたいな音のライターで。

ふぅ

と、煙を細く吐いていくと、1日の疲労の重さがじんわりと沈んでいく。昼間の、声や明るさや人の表情が纏まりなく、つらつらと流れゆく。忙しい日だった。

細い紙巻タバコの灰はなかなか落ちず、灰皿に円柱の灰がポトリと落ちる。屍のように。

だいたいうまいこと行き過ぎている。たぶん(まだそうと決まったわけじゃない)、何かしら集団心理だとか、承認欲求だとか、成功体験だとかで、染められようとしている。あの黒々とした髪と眉毛と白い歯の本部長の堂々たる笑顔や、一人一人にご丁寧な握手や、講師たちの仲の良さや、褒めすぎる紹介のされように。どこか「出来すぎて」いる気が拭えずにいた。疑いすぎだろうか。

気休め程度の音量でテレビをつけて、ベッドの上で食事をするのはさすがに行儀が悪く、近すぎるテレビを見ながら、横のデスクのホテル名入りのメモパットを奥へ押しやって、温めてもらったコンビニ弁当に手をつける。

大きすぎる鏡がその姿を映し、ショートヘアのいつもの私は、疲れて見える。ぬるいピンク色の漬物を齧ると、ほんのり酸っぱい。
さっさとシャワー浴びないと。

空腹だったはずなのに、半分でもういいかなと、半ば押し込むように残りを食べ終えた。「味気ない」ってのは、こういうことだ、と言葉と感情の繋がりを確かめながら、ゴミを片付け、シャワー前に、もう1本火をつける。

何年ぶりだろう、こんな風に1人でビジネスホテルに泊まるなんて。喫煙のシングルの部屋で1人、紙巻タバコを吸うだなんて。
セミナーの、いかにも健康的で、親切で善良で、爽やかに前向きすぎる空間に4日もいたのだから。うんと身体に悪そうな、軽薄な何かを摂る必要があったのだ。そうでなければ、どうにも保てない私の精神は、ほとほと天邪鬼で、不埒だ。
円柱の灰がポトリと落ちる。

シャワーを勢いよく捻り、シトラスみたいな匂いのシャンプーをジャンジャン泡立てる。

だいたい、うまいこと行き過ぎている。明日は5日間のセミナーの最終日で、筆記試験と実技試験に合格すれば、晴れて白衣と認定証が授与される。
「藤本さん、僕と一緒に働きませんか?」と施術を受けながら誘われたのは1年前で、初級、中級といくつかセミナーを受講すれば、開業もできる、藤本さんはきっといい先生になる、僕が責任もって指導しますから、と。

勢いよくシャワーが、泡と汚れと疲れと、疑いと戸惑いと、タバコの匂いの一切合切を流していく。小さな排水口がゴボゴボと音をたてて飲み込んでいく。

濡れた髪をタオルで乾かしながら、気持ちよく整えられたベッドの上に胡座をかいて(胡座は骨盤を歪ませない)、テキストを開き、おさらいをする。腹臥位、背臥位、股関節外転筋、骨盤の高さ修正、肩甲骨剥離、ストレートネック、環椎後頭関節の屈曲…。

「飲み込みがはやいですね」「優秀だな」と昼間の講師たちが褒めてくれた。受講に備えて、書店で専門書を買って勉強してきていたけれど、セミナーではその障りにチラとふれる程度で。専門用語と漢字の羅列による説得力を持たせた講義は、あの専門書の「はじめに」くらいの内容で、日を追うごとに、どうにもザワザワと不安が拭えなくなってきた。

あのサプリメントはどこで製造されているのか。80名ほどいるあの会場で、誰ひとりそれを気にとめないのは、私が天邪鬼だからだろうか。途中からサプリメントの話ばかりになっていたのを、誰ひとり気にとめないのは、私が不埒だからだろうか。

テキストを閉じ、
「まぁなるようになるさ」
と、あえて口に出してつぶやいてみる。
とりあえず、合格をしなければ。
そのために来たのだから。
そのために多額の受講料を払ったのだ。

翌日。
私は、実技試験、筆記試験ともに成績最優秀者として会場の最前列の席に座っていた。
「素晴らしい先生の誕生を、心より歓迎いたします」
と、満面の笑みの堂々たる本部長からの祝辞と、手渡された立派な認定証と、真新しい白衣に、私にずっとまとわりついていたあの疑いは、確信に変わる。

だいたいうまく行き過ぎていたんだ。



荷物をまとめ、外に出るとまだ明るくて。
紙巻きタバコに火を点けて、
細く長く、煙を吐いて。

駅のゴミ箱に、まだ数本残った紙巻きタバコをクシャッと潰して箱ごと捨てた。


タバコなんて本来吸わないし、
事業なんてできる器ちゃうかったわ。


器用貧乏って、こういうことやったんや。





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