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ミロのヴィーナスの方の裸。

結局のところ、
裸が好きなんだと思う。


......!


いや、あの、ちょっと待って。

その、変な意味じゃなくて、ね。

その、エロい方じゃなくて、という意味で。
(え、だって柊さん、性的傾向が曖昧だし?)

いや、その、性的なことじゃなく。
えっと、そうだな、たとえば、
ミロのヴィーナスとかの方の。

うん。そうそう、その裸、の話。

私はよくお風呂屋さんへ行く。
日帰り温泉。岩盤浴。サウナ。大浴場。
女性の月事を気にせずに行けたら、もっと行くだろう。

お風呂自体が好きなのだ、と思っていた。
家のお風呂よりも、大きくて、効能もあって、露天風呂とかにぽっかり、ぼんやり浸かるのが好きなのだと。

けれども、どうやら私は、それだけではないらしい。人の裸が好きらしい、ということに気が付いてしまったのだ。     わぉ。

と、いうのも、
旅行へ行ったときのこと。お宿の大浴場へ行くと、他には誰もおらず、貸切状態だった。
「やった、ラッキー、貸切じゃん!」
となるところを、
 
「なんだ…、誰もいないのか…」
 
と、率直に、ガッカリしてしまった。

ガッカリしてしまったのだ。
裸が見れないじゃないか、と。

......!

え。
衝撃。わぉ。
変態なの?

いや、ちょっと待って。
だから、そういう意味じゃなくて。

その、ミロのヴィーナスの方の話で。

裸は、素直だ。隠しようもなく実寸大だ。
普段は、服装や髪型やメイクで、年齢や体型や印象を、大きくしたり小さくしたり細くしたり太くしたり、上品にしたりカジュアルにしたりして生活している私たち。
裸は、それら一切を持たず、実寸大なのだ。

そして、そのそれぞれの裸には、その人の成り立ちが刻まれている。日焼けだったり、傷跡であったり、ホクロであったり、痣であったり、骨の出っ張り、肉の付き方、ピップエレキバンの跡などが、その人を物語る。
筋肉の付き方、シワの入り方、背中の引っかき傷。

私は、それらをとても信頼する。
子どもの、ツルツルで真新しい裸ん坊から、おばあちゃんたちの使い込んだ裸ん坊になっていくまでの、物語や証がそこにある。

私にも、背中に大きな蒙古斑がある。大人の手のひらサイズの、ユーラシア大陸に似た青い蒙古斑。
産まれてすぐは、背中全部が青かったというくらいだから、これでも小さくなったのだろう。(いな、私が大きくなったのだ。)

私はこの蒙古斑が、どこか人と違う〝証〟みたいで少し気に入っている。紛れもない私。

私は、それぞれ裸に刻まれた、それぞれの人の証や物語を見るのが好きなのだ。
とても信頼をおいている。

それは樹木の、木肌や枝ぶりにも感じる。
若い幹の勢いも、樹齢のいった苔むしてゴツゴツした幹も、嵐で折れた枝も、雷に打たれた幹も。森を歩くと、そういう樹齢の物語や証を感じる。想像を掻き立てられる。

そしてお風呂屋さんでも。人の裸にも。

不躾にジロジロ見たりせず、
自然に目に入る裸を。

......。

あくまでも、自然に。

その、ミロのヴィーナスの方の裸を。

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