"まあ。セレプロなので。"#11 たったひとつの冴えた推しかた
引っ越し作業が終わらねーーーー!note書いてる場合じゃねーーーー!
そんな私です!皆さんこんにチアーズ!
先月チアーズの集会を開催した時に「推しを応援するスタイルって色々あるんだなあ」と感銘を受けた記憶があって、それをテーマにいつか記事を書きたいと思っていたのですが何やかんやでこのタイミングになりました。
みんな違ってみんないい!ということを前提に自省も含めて色々書き連ねてみたいと思います。
1.私の場合
あれこれ語る前にまずは自分のスタンスを明確にしておいた方がわかりやすいので図を作ってみました。
この図を見てもらえばわかるように自分はコンテンツを構成する"円"の中にいないという感覚なんですね。
あまり当事者意識が無いというか某界隈で言うところの「壁になる」感覚なのかもしれません。例えばライブとかでも全力で楽しむ気持ちはあるんですが推しのパフォーマンスはあくまで"自分以外のファンに向けられたもの"である、という認識。
なのでこのnoteの過去記事においても「チアーズの皆さん」「ファンの皆さん」と言い回しをして「私たち」という一人称的表現は意識的に使わないようにしてました(常にではないですが)。
これはセレプロに限らず他の推しコンテンツに関しても同じです。昔はファンであることによる共同体意識に酔っていたこともあったんですけどね。「ラブ〇イバー」を名乗っておけば覇権コンテンツの一員だぜ!「OORer(ワンオ〇ロッカー)」を名乗っておけば音楽の最先端を行ってるぜ!…うーん黒歴史。
でもコンテンツを知ればちゃんと「時間・お金・熱量・敬意・節度」を備えたファンが中心にはいるわけで。私のように勝ちウマ、もとい勝ち馬に乗っただけの輩はただオタク的なファッション感覚でファンという言葉を振りかざしていただけでしかない。
推しだって"ちゃんとしたファン"に応援される方が嬉しいでしょうし、その感情がパフォーマンスに反映されているならそれこそが「コンテンツの在るべき姿」だとも思うのです。
セレプロのイベントは推しとファンのキラキラした関係性を随所で感じられて楽しかったんだよなあ、という思い出。
まあ長々と書きましたが一言で表せば「自意識をこじらせているだけ」という話です。めんどくさいヤツですね本当に(自覚はある)。
2.「ファン」とは何ぞや
そもそも「ファン」ってどういう人を指すんでしょう(哲学)。
私はサッカーも好きでイングランドプレミアリーグのアーセナル(Arsenal)というチームを10年以上応援しています。もともと日本でも有名なチームですが最近は日本代表の冨安選手が加入したことでさらに注目されていますね。
とはいえ私自身はまだ一度も現地観戦したことがないので「ファン」「サポーター」を名乗っていいものかずっと躊躇しています…。
これは通念的な定義によるものではなく私が抱く「理想的なファン像」に適合していないからです。サッカーチームのサポーターならスタジアムでチャントを歌ってナンボだと思いますし。
では日本国内で活動する役者やアーティストに対する「理想的なファン像」とは?皆さんはどう思いますか?
・ライブやイベントを全通もしくはそれに近い回数参加する
→これはわかりやすくすごいと言えますよね
・グッズをとにかくたくさん買う
→SNS映えならコチラ一択
・推しの発信(SNSやブログ)に常にレスポンスする
→簡単そうで意外に難しい
・家族や友達に布教する
→友達を作るところから始めなきゃ…
その他etc…
まあそれこそ十人十色の理想像があると思います。
で、私の理想像を構成する要素は以下の2点です。
①「金は出すが口は出さないこと」
CDでもグッズでも貢ぐ買うのは本人の勝手なわけでその対価やサービスを推しに強制するようなファンにはなりたくない。金を出してる側が偉いなんて思い上がるようならファンをやめるべきでしょう。
貢献という意味では売上だけでなく色んな指標がありますよね。SNSや動画関係におけるいいねとかコメントとか視聴回数とか。微々たるものでも何もしないよりマシかなーと思うものの、気の利いたコメントできないし黙ってた方がいいかもしれないと最近感じ始めたり…。
②「ファンを増やせるファンであること」
これはセレプロを応援するようになってから強く思うようになりました。
過去に応援していたコンテンツでもファンのマナーが悪くて他界した経験があるのですが自分は他のファンを排斥する存在になりたくないし、コンテンツへの貢献としてファンを増やしたい・魅力を広めたいわけです。
なので既存ファンはずっとセレプロを好きでいてほしいし、ご新規さんや業界関係者は「セレプロの現場ってファンがアツいよね」とか「〇〇さん(推し)のファンってマナーいいよね」と思ってほしい。それがコンテンツや推しへの評価に繋がる…はず。
「やりたい放題やって楽しんだ者勝ち!先のことは知らないし他人のことも知らない!」という考え方もあるんでしょうが、私は自分が楽めたとしても結果的にコンテンツが先細りになる将来は望んでいないので。
大人なら大人なりの貢献の仕方があるよねという話です。
3.a message from "Suzune"
前項で私の例を出しつつ色々ファンの理想像とその条件についてあれこれ考えてみました。
しかし一方で思うこともあります。
「イベントに行くとかグッズを買うとか様々な条件を満たさなければ"ファン"は"ファン"足り得ないのだろうか?」
セレプロアニメを思い出してください。
本編ではチアーズとしての美山 鈴音と桜井 涼音の姿が描写されています。
彼女たちは子供であるが故に使えるお金はそう多くなかったと思いますし(鈴音はグッズを大量に持ってましたが)、病気故にイベントに行くこともなかなかできなかったでしょう。
だからと言って彼女たちをファンではないと切り捨てられる人がいるでしょうか?いや、いない(反語)。
むしろ配信を細かくチェックしたりエール(投票)や手紙を送ったりと自分にできることを全てやっていた彼女たちこそファンの鑑!と感じた人の方が多いのではないかと思います。
あの描写があったからこそ私は少し救われたというか、許された気がします。
「大したことはできないけどファンでいてもいいですか?」という問いに対するおぼろげな答えを示してもらえたので。
彼女たちのように深刻な問題でなくとも、現実的には家族・仕事・距離…様々な事情で推し活に制限がある人はたくさんいます。
というかむしろそれが普通なのであって無制限に人生のリソースを注ぎ込めるオタクが異常なのです(暴言)。
応援の方法は人それぞれ、という意味ではライブやイベントでの振る舞いも同じだと思います。
曲に乗せて飛び跳ねるもよし、「今日もいい笑顔だな…」と悦に入りながらじっと腕組みしているもよし。
「周りに迷惑をかけない」という最低限の条件さえ守っていればそのスタイルを他人がとやかく言うものではないでしょう。
自分にできることを自分らしく全力で。その情熱のひとつひとつが推しを支えている…と彼女たちが教えてくれましたよね。
ファンの在り方という意味で私は「推しが武道館いってくれたら死ぬ」のえりぴよさんを尊敬してるのですが彼女は彼女で極端なので…。まあ推しと同性だから許されてるみたいなこともありますし…。
ファンの雰囲気もコンテンツによって様々。セレプロをきっかけにチェックするようになった界隈もたくさんありますので引き続き勉強させてもらいます。
あなたの想いが推しに届いていますように!いや!絶対届いている!
おしまい!