現代神道というカルト
現在、皆さんの目に触れている神道はおよそ本来の神道の姿をしていません。ほとんどカルト。
本来の神道の特徴は?
・経典がないこと
ないものはないんです。明文化しているのは大祓いというお祓いぐらいです。後述する理由から現代神道がとっても大切にして曲解して回る「日本書紀、古事記」は神道の経典ではありません。
・経典がない=タブーがない
・タブーがない=罪がほとんどない
数少ない「してはいけないこと」は、「お母さんが同じ人とセックスしてはいけない」です。殺しても盗んでも「OK」までは言いませんが、「お前それで本当に気持ちいいの?」と聞かれることになります。
ちょっと乱暴な言い方をすると、天皇は神主の大親玉ですが、その天皇が目の前にいても頭を下げる下げないはあなたの自由です。本当は尊敬していても頭を下げなくて良いのです。後述する儒教がガチで形式的なのに比べると、実質的な人の心を反映した信仰です。
・善悪ではなく、浄VS不浄、快VS不快が中心の考え方
気持ちいいかどうかが問われます。タブーの世界の中に住んでいる人にはよくわからない感覚。
・それ故、宗教ではないとする人もいる
それが曲がったのは?
明治時代のはじめ、学校で廃仏毀釈と習った仏教と神道の分離をしたときに、実はもうひと手間加えて儒教をくっつけました。これ、授業では教えてくれませんよね。
それ故、現代神道を儒家神道とも呼びます。神様の心とか、日本人の心とかを書いたり拡散したり授業したりしている人は、ほぼ100%がこの儒家神道であり、本来の神道から見るとおよそ神道とは呼べないカルトです。
儒教とは
筆者は儒教の専門ではありませんが「あなたを尊敬していますよ」というのは言葉ではわざわざ伝えづらいので、それが伝わる様式を整えてその様式に従ってみんなで生活しようね。というのが儒教です。
東アジアの男尊女卑も基本的にはこの儒教からスタートしています。
その他、様々な理由から「人を支配するための宗教」と言われることもあります。
儒教と神道、正反対のものをくっつけた理由は?
江戸時代、天皇の存在を知っていた人は民衆のうち半分ぐらいでした。その天皇の権威性を確立するために必要だったためです。
それには正統な目的があったんですが、その目的は1945年にほぼ失敗に終わります。まぁ時間稼ぎはできたんですけどね。
実は明治維新政府が破壊した民族性はたくさんあります。家族制度、結婚制度などです。自称保守の人が言う「日本の伝統」は、明治維新政府が作ったものがほとんどで、江戸時代の日本にはほぼさかのぼりません。江戸しぐさのように捏造したものは別ですけど。
なので、自称保守の人が言う日本の伝統はほぼ伝統ではないです。
つまり、皆さんの目に触れている現代神道とは
正統派の神道から見れば、完全にカルトです。
カルトとは、人を幸せにしない宗教です。多くの人が本来の神道や日本らしさから遠ざけられて、不幸に陥っているのかを知ってもらいたくて、これからも書いていこうと思います。