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アイデアを考えられない僕が外資系クリエイティブエージェンシーにいる理由
どうも、金清雄太(@KYP_1223)です。
初めてのnoteを寄稿して早4ヶ月が経とうとしています。タイミングとしては中途半端ではありますが、最近読んだストーリー型自己紹介の記事に感化されまくった影響で、ここはひとつ自分が何をしたい人間であるか?を整理して言葉にしてみようと思いました。
何者でもない僕の、少々見苦しいコンプレックスの話も含みますが、この自己紹介を少しでも読んでいただき、僕を知っていただけるととても嬉しいです。
1.高校時代(アメリカ グリニッジ州での生活)
高校受験に向けた夏期講習の宿題を済ませている時に、親に呼び出されたのが全ての始まりでした。
「来年からアメリカで働く事になったけど、雄太はついてくるか?」
突然の宣告でしたが、二つ返事で「行く」と回答しました。今にして思えばあまりに短絡的過ぎましたし、結果毎日5時間英語の宿題に追われる日々に悩まされましたが、英語力の基盤と、我慢強さはこの時期に培われたと思います、
しかし、インターネットが今ほど盛んではなかった当時は同世代の人たちが何を考え、どんな才能に溢れているか?を知る由もありませんでした。その結果、調子に乗って帰国子女枠で入学したムサビで、常にコンプレックスに追われる日々を送る事になりました。
2.大学時代(劣等感から逃げる日々)
帰国子女枠をつかってムサビの芸文に入学した僕ですが、その日々をイメージするなら最近話題になった以下のような世界観が的確です。
ゼミでは教授から毎週のように詰められ、インターンシップ先の建築デザイン事務所でも毎日詰められ、当時付き合ってた彼女が着々と卒業制作を進める中、精神的に追い込まれフィンランドに逃亡してモーテルに引きこもったり、自分の才能の無さから逃げる日々を送っていました。
自分を変えるきっかけは在学中には結局来ず、しんどくても明けない夜はない、的なひねくれたポジティブさだけ身につけて卒業制作も70点くらいのクオリティで提出を難を逃れました。
しかしどこか、この頃から全身全霊を振り絞って学科賞を受賞した彼女や、外で活躍する同級生に理不尽な嫉妬心を抱き始めていました。と同時に、勝負どころを真っ向から向き合えない自分へのコンプレックスも心の奥でネバリと棲み始めていたと思います。
3.新卒〜2社目(才能の無さから逃げるにはデータしかなかった)
大手代理店には書類選考の時点で落選し、制作会社もことごとく落ち続けた自分を拾ってくれたのはオプトというネット専業の代理店でした。
ディレクターという肩書きを新卒当初から頂き、バナーやらランディングページの構成案を1日20案くらい考えたり、とにかく場数だけはしっかり経験させてもらいました。斬新かつ人の心を打つクリエイティブを生み出すことが出来なかった僕は、その分CTRを0.1%上げるためのパターンを身に付けることで生き長らえていました。
2社めのグリーでも基本的な企画、クリエイティブとの向き合い方は変らず、指標がCTRからDAU、MAUに変わったくらいでした。
定量的な指標でクリエイティブの良し悪しを判断する事はデジタル領域では必要なスキルですし、これを新卒から身につけられた事は今の自分の財産だと思いますし、同期や上司には本当にお世話になりました。
しかし当時はそれらをポジティブに考え切る事は出来ませんでした。勝負をしたいフィールドから逃げて、自分の置かれている環境で力を振り絞らず、それにも関わらず活躍する同期や後輩を見てただ嫉妬するという救いようのない時代を送っていました。本当に、大学の頃から根本は変わってなかったのです。
どうしようもない状況を打破するために、環境を変えるしかない、と思った僕は自分の結婚の機も重ね、2回目の転職活動をする事にしました。
4.3社目〜(デジタル人材がクリエイターに囲まれ、どうなったか?)
社会人8年目にしてもう一度、自分が憧れた総合広告代理店の世界に挑戦してみたい、と思い、結果、TBWA\HAKUHODOというグローバルのクリエイティブエージェンシーにデジタルの戦略家、デジタルストラテジスト として入社する事が出来ました。
様々な局面で勝負することから逃げてきた男が最後に憧れだった世界に飛び込び、変わる事は出来たのでしょうか?答えはNOです。優秀なクリエイターの面々に囲まれ、自分のアイデアで勝負をするどころか、アイデア要員としてMTGに呼ばれる事すらありませんでした。
打席に立つ事すら出来なかった理由は明確です。今まで勝負どころでやりたい事、推したい主張を表現する事をしてこなかったので、これを論理立てて人に説明する事が出来なかったからです。なぜこれをやるべきか?そう思った背景は?生活者の心理は?プランナーとして持つべきコミュニケーション戦略の筋書きを全く描く事が出来ませんでした。
結果の出ない僕を上司は何度も励まし、時にはケツを叩いてくれましたがなかなか状況を変える事ができませんでした。やりたい事、貫きたい事が見つからないのです。どうすればこれを見つけられるのでしょうか..?
そんな時に出会ったのが、Crimson Hexagonというソーシャルリスニングツールでした。
5. 自分がしたい事を言わない事で道が拓けた今。
Crimson Hexagonはソーシャルリスニングツールですが、これに出会った時は、様々なブランド・商品についてリスニングする事が楽しくて仕方ありませんでした。こんなに簡単に、人の思う事、考える事がSNSを通じて理解できるのか?と感動しました。
そして、この感動を人に伝えてみたら、先ほどの上司や、クリエイターの方々が興味を持ち始めてくれました。商品やブランドをどうしていくべきか?自分の意見ではなく、徹底的に人の意見を分析する事で主張を形成したのです。人任せにも聞こえるこのアプローチは、ユーザー起点の戦略立案、コミュニケーション立案のための、僕自身のもっとも自信のあるメソッドになりました。
以下、この手法を用いたアプローチについて説明をした記事一覧です。
また、現在はありがたい事に、同アプローチについては宣伝会議さんでセミナーを通じて話をする機会も頂けています。
6. 終わりに(コンプレックスとの隣り合わせは終わらない)
こんな僕ですが、自分とのコンプレックスとの戦いはまだ終わっていません。なぜなら、多くのクリエイティブを創出するクリエイティブエージェンシーにいながら、明確に自分の力で生み出したといえるアウトプットを持ち合わせていないからです。
今でもアイデア提案の社内MTGや、施策プラニングの際には心にどこかモヤモヤ、ネバネバとする感覚がまとわりつきます。結局僕は勝負どころで真っ向勝負をかわすんじゃないか?のらりくらりとやり過ごしてしまうんじゃないか?と。
そんな、今まさに何者かになろうとし始めている僕ですが、出来る事ならば色んな人に出会い、会話し、叱咤激励を頂く事で常に自分の志を高く持ち続けていたい、と思っています。勉強会を自主的に開催したり、記事を書いたりするのも、これが理由です。決して、自己顕示のためではなく。
そして、そんな自分が少しでも自分の調査力・分析力と示唆を見る人に与える事が出来たら、と思い始めたのがこのnoteであったりします。
質問でも、ご意見でも構いません。TwitterでもNoteでも、気になったら一言声をかけてください。少しでも皆さんに興味ある情報を提供できたのであれば、これ以上の喜びはありません。
今後とも、よろしくお願いいたしますmm
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