2025年を迎えて〜脳内百花繚乱
2024年に巷から聞こえてきて耳に残っている言葉たち。敢えてめちゃくちゃ反応的に書き連ねてみると、
とまあ、1990年代から、プロセスワークを基本に同じ流れを共有するさまざまなものを自分なりに学び、コラージュと融合を繰り返しながらシステムアウェアネスとして理論と手法を構築、実践してきた身には、自分の力の小ささを嘆きながら、いろんなことにプチ怒り反応がおきたのが昨年だった。
こんな社会からの声にプチッとする一方、
私のところに半分活動、半分仕事のようにして入ってくるライフワークたちに共通するテーマは、トランジション。
素晴らしい事業継承のプロセスを終えた組織もあれば、創業期からの方向性が時代に合わないことに気づき、組織全体で次のフェイズに脱皮しようと、一歩進んで二歩さがるから始まり、二歩進んで一歩下がる段階も踏み、数年掛りで取り組んできて、先が見えているものの、一歩進んでまた一歩に続く道を丁寧に最後までやりきろうとしている組織もある。
一方、社会の注目に対して既存資本主義的価値に焦点化して早く進めるのか、資本主義の限界も視野に入れて社会変容まで視野に入れてゆっくり進むのかの狭間で着地点を模索する組織があるかと思えば、目の前の個をゆっくりしっかり支え合いながら、変化の早い社会にたいしても対応して、両者のブリッジを画策してとっかかりを掴んだ組織もある。
また、日本にありがちなトップダウン型の強固なシステムの中で丁寧にボトムアップを模索し、トップの抱える責任からくる不安をホールドしながらも結果的にはその不安に対しての対処をボトムアップで考えることを形にしようと動く組織があったりもする。
こうしたトランジションの動きは、もちろん、1990年代からあるのだけれど、昨年あたりから顕著なのは、既存の価値にアゲンストな形でブレイクスルーしていくスタイルが随分影を潜めて、文字通り対立の炎の中で自ら座り、新旧の価値を統合していくことに意味を見出せるようになっている組織や人材がそこここに見られることだ。
こうした組織やチーム、個人と伴走するには、当然私自身の胆力が問われていて、ここはどんなに修行しても足ることがない。でも、こうしたプロセスの先に見える彼らの姿が、私自身を越えた希望の光であるという根拠もないけど疑いもない確信がもたらす「いのちの喜び」を与えてくれるのは、幸せなことだ。
このトランジションは我が家の娘たちにもやってきていてそれぞれが次の道を模索するフェイズになっている。家族だけに普段するような伴走はするだけ徒労なので、たまにポソっと何か言ってみるというリーストアクションにとどめているが、肝に銘じているのは、彼女らの存在の力を信じ続けることで、ここがぶれたら私が家出しようと思っている。
家族といえば、母の兄弟姉妹にまつわる長年の課題があり、ここは母の代で解決してねと30年くらい言い続けたのに結局決着していなかった。しかし、これは大変不思議なことに、私たち娘世代が「もう知らん!手放す!」と宣言した途端、助っ人が現れて、親たちもなぜかすっかり納得してくれて、すっきりさっぱり手離れそうだ。
ここまで、昨年中はプチ怒りがあっても手をつけられなかったテーマたちと、すでに手をつけていて引き続き今年も続くトランジション、そして私ごとで起きたトランジションの蔵出しだしをしてみた。
プチ怒りは、自分なりに見えている構造があるからプチ怒りになるのだが、2024年これに加えて、もっと構造を探求してみたいテーマに「科学技術と自然」がある。私の中でまだ二項対立を越えられていないテーマで、昨年見学した福島原発の原子炉に自分が見てしまった「神性」をきっかけに、原発に対する賛成反対で分断させる前に、また、AIなどの技術を恐れの中で扱ってしまう前に、もう一歩深いところから考察してみたい。
さて、タイトルに百花繚乱としたのは、自分の中では全部繋がってるんだけれど、端的な言葉だけではお花畑みたいに散らばって見える脳内を開示することで、2024年に上がってきたテーマたちを、2025年にはみなさんと一緒に扱っていきたいからである。
さて、この百花繚乱、果たして有言実行できるか?
いろいろお声がけしたりアクションしたりしてみるので、挫けたらぜひ応援エールをいただければと思う。