[聲の形]耳が聞こえない事で社会との断絶を泣くなら、補聴器したまま川に飛び込むのリアリティが無い
補聴器をしたまま川に飛び込むのリアリティ無い
という話をリプで頂いて、少し考えてみた
話の大前提として、公式設定の確定条項を書き出す
夜一人で泣くシーンと川に飛び込むシーンで妄想抜きの公式確定条項
1.泣くシーンは原作にはない
2.泣くシーンの元になる話は映画と同時期発売の公式ファンブックにて作者が語った内容である
3.作者としては硝子視点だったので漫画にはいれなかったエピソードである
4.そのエピソードとは、右耳の聴力が落ちていることがわかって将也の声が今より聞こえなくなる、ん?ナンデ自分はそんな事でこんなにドキマギしてるんだ?
5.これ、まさか、そういうことなの?え?ヤバイ好きなんじゃないか?と気がついてしまう
6.ノートの重要性はQAのような少コマではなくページを割いて公式でも強調
7。「鯉が大量発生中」と将也にメールを送るシーンも映画版で追加されたシーンである。
以上は作者と京アニ以外変更できない確定事項である。
「プレゼントを渡すのにそこまでプレッシャーを感じているのは、将也を好きだと意識しているから?」
前述した3〜5の回答の書かれたQが上記のQだ、映画版しか知らない人はちょっと意味がわからないと思うので補足をする。
告白に至るシーンは漫画と映画で少しだけ展開が違う。
映画版で硝子のポニーテールを結弦が指摘した時に見せる「ぎこちない変な笑顔」
あれは 漫画版だと結弦が「石田に渡すお礼(プレゼント)買えた?」という質問に対する笑顔である。
つまり、このQを映画版準拠に修正するならば
「髪型変えた事を指摘されて変な笑顔するのは、将也を好きだと意識しているから?」
であり、それへの回答が
・作者としては硝子視点だったので漫画にはいれなかったエピソードであること
・そのエピソードとは、右耳の聴力が落ちていることがわかって将也の声が今より聞こえなくなることでナンデ自分はこんなにドキマギしてるんだ?
・これ、まさか、そういうことなの?え?ヤバイ好きなんじゃないか?と気がついてしまう
である。
泣いているシーンが追加された意図
この作者からの回答を受け、作成されたのが聴力が落ちている事を医者から告げられイトが動揺するシーン、そして一人で夜に泣いているシーンである。
わざわざこのシーンを追加した意図は明白であろう
硝子の恋愛が始まった瞬間を描いているのだ。
いや、違う!他の意味だ!解釈違い乙!
という方がいるのは、それはそれでいいのだが
3〜5の回答を作者から得て、作者の意図を無視してシーン追加するかね?いいんだよ、他の意味もあったはいい、それはいい、母である八重子が望んでいる硝子が健聴者として振る舞うような生活は本当に絶望的になるという予測から八重子に申し訳ないとか、そういう気持ちもあるでしょう。
でもあのシーンの「メイン」は、3〜5の回答ありきでしょ、さすがにそこは公式設定を遵守しようぜ?
ましてや、泣きはらした夜を超えた後、ポニーテールにした硝子を見て結弦が将也に送るメールは
「鯉が大量発生中」である
えーと、これを解釈違いする人はいないと思う、いないよね?
これも、漫画版でなかったシーンを"態々"追加しているのだ
つまり、あの映画でのみ語られた聴力を失った周辺のシーン
あれは硝子の気持ちの揺れ動きを漫画版よりわかりやすくするためである
聴力が落ちることがそんなに辛いなら川に飛び込む時、補聴器壊れるの気にしないのリアリティが無い
次に「補聴器したまま川に飛び込む」シーンである
私のような信者としては聲の形でTOP3に入る石碑建立むせび泣きポイントだが、逆にそれこそ聴力を失って泣くほど辛いなら、リアリティが無いという指摘があるわけだ
映画版で時系列を並べよう。(漫画版だと読んでいない人多いし、補聴器外さず飛び込む事は同じなので)
1,将也が筆談ノートをもってくる
2,翌週の火曜日には将也とは会えない
3,この期間何を考えていたかは作中にはっきりと明言があり「その期間の石田と同じことを考えていた」
4,やっと翌週将也を見つける
5,逃げ出す将也
6,すぐに追いかける硝子
7,硝子の手には筆談ノートを握っている
8,ノートのお礼を言う
9.ノートが川に落ちる
10,「補聴器を外さず」硝子が飛び込む
また公式設定として
1.小学校時代から将也が好きだったの?という質問に対して作者は明確に否定している。
2.硝子が将也を「好き」と意識するのは聴力を失った事がきっかけでありこの時点では「まだ」好きでもなんでも無い
ここまでは確定事項
さて、いくつか軽い考察をいれる
まず硝子は将也を追いかける時、筆談ノート「だけ」を持っている。
他の荷物は持っていない。
そして将也が逃げ出してすぐに硝子は追いかけている、つまり筆談ノートは、すぐにひっつかんで持ってこれる場所にだしてあったのだ
次に、筆談ノートを彼女は2週間ずっと持ち歩いていたということである。(手話教室のときだけか、いつもかは知らない)
なぜか?
逃げた将也を追いかけてまで硝子がしたかったこと
それはノート、つまりは彼女の未来を拾い直してくれたお礼を言うことである。
そして、そこまでしてお礼を言おうと思うほどに大事なノートが川に落ちたがゆえに、彼女は補聴器の事など字義通りの「度外視」して川に飛び込んだのだ。
この時点では将也のことを別にすきなわけではない
将也<ノートだし、補聴器<ノートである。
もっと書くなら
将也<<<補聴器<<{越えられない壁}<<ノートに込められた未来への希望
である。
ノート=未来への希望については下記のノートを参照
さて、元の話は
「聴力が落ちることがそんなに辛いなら川に飛び込む時、補聴器壊れるの気にしないのリアリティが無い」だが
先程も書いたとおり
「聴力が落ちることが辛い」シーンは、後から追加されたシーンであり、そのシーンの意図は「将也の声が聞こえなくなる」ことを彼女が辛いと感じるシーンである、順番が逆なのである。
聴力が落ちてが辛いのは「ノートに象徴される未来を持ってきてくれた」将也の声が聞こえなくなることに対してであり泣いているシーンは
補聴器(聴力)<<|超えれれない壁|<<未来へ希望=将也
に「なった」というシーンなのだ。
ところで、将也とは実は聴力がなくてもコミュニケーションを取ることができる、そう手話だ。
それでも彼女が「将也の声がもっと聞こえなくなる」事に泣くのは何故だろうか?
彼女にとって「声」とは会話の助けになるものだからだ!
なるほど一理ある。
彼女にとって聴力は「社会との接点」でありそれが切断されるからだ!
なるほど、一理ある
だが私はもっと別の意見だ、しかし書くとくっそ長くなるので、別の機会に譲る、公式設定ないところなので100%妄想になるし!!!!
西宮八重子の場合
代わりに川に飛び込むシーンから次の話もしたい
八重子さんである、
映画版の場合でも漫画版の場合でも、補聴器が壊れることもいとわず水に飛び込んだこと、硝子に小言を言わずにはいられないだろう、これは確信がある、絶対言う、だってお金かかるし。高いし。
さて、それを聞いて、硝子はどう思ったのだろうか?
反発したのだろうか? それとも右から左に流したのだろうか?
八重子から言われたことに対しての硝子の反応を想像するのも、また私としては楽しい。
硝子の社会性
ところで「聴力は社会との接点」として考えたいことが有る
硝子はどんな高校生であろう?
たとえばお礼にそれが示されている、将也がガーデニングしているかどうかもわからないのにガーデンピックを渡すくらい硝子も硝子で相手を理解する能力が欠如している。
っていうか男にガーデンピックだよ、いやたとえば女友達に対してだってあげますか?高校生だぞ?
コレ読んでる貴方が硝子に相談されたとして
「気になる異性が可愛いネコのポーチくれたからお礼にガーデンピック?いいね!喜ぶよ!」
って助言しますか?
いやせいぜいね「貴方の気持ちがこもってれば何でもいいと思うよ!!!」なら言うかもしれんけどさ
「ガーデンピックから私に興味持ってほしいな」で渡すにしても
硝子にはガーデニング好きなんて設定は未確認だからね!?仮にその設定があったとしても選ぶか!?ガーデンピック!?だったら花でも良くね!?
あのガーデンピック買うシーン、補聴器が一つになっていることから分かる通り、既に聴力落ちてるのわかってるからね??
つまり、あれ「どうも自分は石田が好きっぽいぞ」って自覚してる状態だからね!?やべぇ、私石田くん好きみたいだわ、え、お礼?なんか買う?まじで?やっべ何買おう
って好きな異性にプレゼント買ってんだよ!? そこで!?!?!?ガーデン!?!?!ピック!?
失礼思わず激高してしまいましたが、つまりこれは同時に硝子には相談できる友達がいないことも示しているエピソードなんです、いやせめて結絃に買うもの相談しろよって思うけどさ!!!!なんでお前手伝ってねえんだよ!!!!(爆発
いやすいません、もとに戻します
他にも硝子には社会性が育たなかったことを示すシーンが有る、手話サークルでは周りは全員手話のできる人だが
いつ見ても、結弦以外と手話で会話しているシーンは無い。
将也に気がついていない時も、彼女は本を読んでいるかお茶を飲んでいるかだ、硝子が周りと雑談をするシーンがないのである。
これは「意図して」そういうシーンだと私は思っている。
聲の形劇場版はモブの声までもしっかり入っている事がリアリティを増していると評価されるが、まったくもってそのとおりで
最後のクライマックス、将也が耳を塞ぐのを止めて全員の顔からばつ印が剥がれた後も「よく学校来れるな」という将也への陰口がモブに言われている、そんなリアリティをモブで描く技術が彼らにはある。
それなのにだ、手話サークルで結絃がいないときの硝子はどんなことをしているのか?それを描けるシーンで、わざわざ、孤立している姿を描いているのである。
補足として漫画版でも結弦がイトにこう話している
「4月からだんだん明るくなって、今最高に変なやつって感じ!今まで家ではぼーっと本読むくらいだったのに、今はニヤニヤウキウキ時々くよくよしてるけど結果オーライって感じの変顔連発」
硝子が、将也と再会する前の生活が書いてある
「今まで家ではぼーっと本読むくらいだった」
彼女は将也に再会するまでニヤニヤすることもウキウキするとも
ましてや「クヨクヨ」することすらなかったのだ
いや、またも聞いちゃいますけど、恋愛とか関係なく友達いたら当然そこにはコミュニケーションがありますよね??
クヨクヨすることや買い物にいこうとウキウキすることあるでしょ?
でも無いんですよ、硝子にはそういう生活。
家ではぼーっと本を読むだけで
友達と夜までLINEして母親に怒られることもないんです。
高校にもあまり馴染めていないことが公式ファンブックで語られますが、もうぶっちゃけ断言しちゃうと、結局は友達0人なんですよね将也と同じで。
友達0人の硝子にとって「社会」つまり「家族以外」の人って
硝子にとっては将也と佐原だけなんである。
これは将也に永束と硝子しかいないのと同じであり、そこもあの二人は似ている点なんである。
以上が、公式設定とそこから読み取れる知見である
相変わらずアフィとか無いっすので、是非買ってください
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