泣く代わりに歌う
無性に歌いたくなることがある
悲しさに理由があるときなら、そのまま、自分の感情由来で泣くことができる
が、
わけもない不安、ただ悲しい、そういう、漠然としたもののときに、その正体不明なものの中に浸ってそのまま泣くことが、私はできない
そういうときに、歌を歌う
歌詞の意味は問題ではない
そのときにメロディが浮かんだものを、好きなところから、好きなところまで歌う
歌うために歌詞を追い、音を辿っているうちに、自分の不安から目を背けることができる
かと思えば、行き場もなく溜め込んだエネルギーを外に出すことができ、涙を流すこともできる
これは、その場しのぎの対処療法にすぎない
でも、その場をしのげることが、どれほど大きいだろうか
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漠然とした不安や焦り、悲しみに襲われるのは、
未完了のタスクに溺れているときに起こりがちだと最近気づいた
それは必ずしも可視化できるタスクばかりではない
長年の悩みなど、答えのでないものもせっかくの機会なのでと言わんばかりに浮上してくることもある
また、大きい問題とは限らない
今夜何食べよう、とか、お風呂洗わなきゃとか、机の上の目薬を枕元に持っていきたいな、とか。
日常の小さなものが未完了のまま積み上がっていくと、どこから手をつけていいのかわからなくなり、どれほどのエネルギーが必要かもわからず、動けなくなってしまう
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歌を歌うと、歌の世界にいられるのだと思う
その世界は、上手いとか下手とか歌に対する評価とは無縁で、自分と歌だけの安全な世界である
歌う力がない時は、
過去の自分がその安全をもとめて歌った時の音源を聴く
そうすると、歌ったときに近い感覚を得られる
そこは仄暗い場所ではあるけど、私の輪郭をちゃんと認識できる場所である
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感情の扱いがずっと苦手だが
そうやって、創作物の手を借りて、
音楽の向こうの、それを生み出した人の力を借りて、
今ここにいるどうしようもない私をいなしている
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