五年ぶりの『ヒストリエ』と映画『フェラーリ』
今週は『ヒストリエ』と映画『フェラーリ』の週。
最後に来週にみたい映画のセルフ予告。
100分de復習『千の顔を持つ英雄』
NHK100de名著で『千の顔をもつ英雄』が取りあげられてたので、第3回まで見てみました。4回は来週月曜。
どんな内容の本かというと、古今東西の神話を比較研究し、その中から共通のプロットを抜き出してまとめたというもので、神話のメタファーを解読して隠された意味を明らかにするという内容のもの。
ゲストの講師は神話学の専門家ではなく経営コンサルタントで、本書を自己啓発の書として紹介してくれる。
たしかに『千の顔〜』はマーケティングにも使えるし、神話こそ究極の内面の旅、自己啓発の最良の手引きでもある。
自分が番組を見てておもったのは、原著のはば広さ。
物語論であり、神話の解釈学であり、自己啓発であり、経営理論であり…。
どこからでも読めてしまう多様さが魅力の一冊なのだ。
五年ぶりの『ヒストリエ12巻』
『寄生獣』岩明均による古代オリエントを描いた歴史漫画『ヒストリエ』その5年ぶりの最新刊。
今月号のアフタヌーンに作者がメッセージを掲載していて、原稿の遅れの理由として、眼底出血による視覚の歪みと、体力の衰え、集中力の低下、利き腕の麻痺があるらしく、やばいくらい限界なのが現状らしい。
エウリュディケ暗殺の容疑で、追放されたオリュンピアス。移動中に妻をひそかに暗殺しようとするフィリッポス王。
両者の陰謀の結末と、フィリッポス王との間に子供が産まれたエウリュディケに迫る魔の手。
主にこの二つのエピソードが収録されている巻。
式典での暗殺のシーンは圧巻としかいいようのない怒涛の演出で、センスが冴えわたっている。
エウリュディケがエウメネスに子供をたくすシーンは、『寄生獣』8巻の田村玲子が新一に赤ん坊をたくすシーンと重なり、母なるものの壮絶な執念に気圧される。
ほかにアリストテレス先生と、一巻にチラッとだけ出てきたアルケノルが登場し、マジックリアリズム的な死者蘇生のシーンが描かれ、興奮オブ興奮。ぞくぞくしますねー。
レース映画ではなかった『フェラーリ』
フェラーリの創業者、エンツォ・フェラーリの晩年を描く伝記映画。
監督は『ヒート』『コラテラル』などのマイケル・マン。
マン監督は『フォードvsフェラーリ』の製作総指揮に名をつらねたこともあるが、本作は『フォードvsフェラーリ』のようなレースのスペクタクルをメインにしたレース映画ではない。
エンツォ・フェラーリという人物の、亡くなった息子をめぐる、家庭の再生(崩壊)を描く映画になっていて、個人的な連想だと宮崎駿が零戦の技師である堀越二郎に自身を投影したような、そんな作りの映画だとおもっている。
レースのシーンはクライマックスのミレッミリアのレースのみで、会話シーンばかりでギンギンに欲求不満になったところに、エンジンの轟音が鳴り響くカタルシス。たまらねぇ。
モーターレースには死ととなりあわせの狂気が存在することも、しっかり喝破して描いているのも好感がもてる。
『化け猫あんずちゃん』『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』
来週は『化け猫あんずちゃん』か『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』のどっちかだ。
『化け猫あんずちゃん』は、いましろたかしによるマンガを原作とした劇場アニメで、ロトスコープという技術でつくられたことが話題になっている。
ロトスコープは実写映像をトレースしてアニメを作画する技術で、本作以前にも広くアニメに使われている技術ではある。
たとえば岩井俊二の『花とアリス殺人事件』とか。
『花とアリス殺人事件』は端正にトレースしすぎでむしろぎこちない印象のあるアニメーションではあるけど、『化け猫あんずちゃん』は予告を見るかぎり、きちんと中割りされていて滑らかなアニメーションになっている印象がある。
トレースしたうえで、繊細に調整してアニメにしているのだろう。
とおもったら監督のひとりが『花とアリス殺人事件』のロトスコを手がけている人でした。今作はだいぶ技術面で進化している様子。どんなアニメになるのか注目の一作。
『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』はアポロ計画と、その有名な陰謀説である月面着陸はフェイクだったのではないかというウワサを題材にした映画。
陰謀論をメインにした社会派映画になるのか、あるいはフェイクなんかでごまかさずに俺たちで本当に月に行こうぜ! と団結する、プロジェクトX路線なのか、どっちかだとおもっている。
おもしろさ未知数だが、はたしてどうか。