人間スパコンで円周率を計算せよ 『円 劉慈欣短編集』
『三体』三部作があまりに面白く、読み終えたあと燃え尽きてしまい、その後に続々と出版された、短編集や番外編など、手に取る気が起きなかった。
ハードカバーで少し値段が張るってのもあるけど。
『三体』よりも先に短編集の方が文庫化したので、これを機に今更ながら読んだ感想を書く。
鯨歌
著者のデビュー作。
ニュートリノ検知機や衛生監視網などが整備された近未来のアメリカで、麻薬の密売をする話。
その密売の方法というのが、クジラにインプラントを突き刺して、ラジコン操作するというもの。船ごとクジラの口の中に入って移動するというブッ飛んだ計画。
クジラの口の中の描写など、すごく細かい。著者は丸飲みにされた経験でもあるのだろうか。
クジラ同士は、ある種の歌でコミュニケーションをする生き物で、1000キロ先でも会話ができたりするそうです。
クジラの歌はYouTubeで簡単に聴けたりします。
恐ろしくも神秘的な響きで、結構好きです。聴いてみてください。
生き物に対する素朴な感動や好奇心が一つの短編に落とし込まれていて、奔放な想像力と共にSFを読む楽しさが詰まっている。
アバター2が3時間かけてやったことを、30ページ足らずで鮮やかに書いてみせます。
地火
劉欣の父は炭鉱夫で劣悪な環境で長年働いた結果、珪肺症を患い帰らぬ人となってしまった。
劉欣は友人と共に、劣悪な炭鉱で働く父のような人を現場から解放したかった。
そのためにある計画を実行する。
地火とは、地下の炭層に火がついて地面が燃えることで、中国やオーストラリアでは何年も消化することができずに、燃え続けている地面が存在する。
劉欣はあえて炭層に火をつけ、そこから直接エネルギーを取り出そうというのだ。
しかし計画はトラブルに見舞われ、大勢の死者を出してしまう。
地面は燃え続け、消化は不可能に……。
エピローグで未来の世界から、主人公たちの出来事を体験するというシーンが挟まれ、父親(過去)劉欣(現在)と貫く時間軸が出来上がり、人類と自然との戦いの歴史としての視点が提示される。
科学技術が未来を切り拓くという50年代SFのイデオロギーがここに復活し、楽観的な未来像を提示する作品。中国の文芸がどれだけ検閲されているのかわからないが、そんなことは関係なく作者は本気で未来を信じているのだろう。
郷村教師
中国の辺境の村で、癌に冒されながら子供たちに科学を教える教師の話と、炭素生命とケイ素生命による銀河をまたにかけた壮大な宇宙戦争が同時進行する話。
命をかけて子供たちに伝えた”知識”が、地球の命運を左右する問答の場へと召喚される。アーサー・C・クラークの『太陽系最後の日』の読後感に近い。
短編集の中で最も感動を呼ぶ一編。
因数分解が何の役に立つのか。中学のとき考えたりもした。
地球を破滅から救う役に立つようです。
あなたはニュートンの三つの法則を言えるだろうか。
言えなかったら破滅です。
繊維
次元の狭間に迷い込んでしまった主人公はそこで、隣接する並行世界の人間たちと偶然出会う。並行世界は私たちが知る地球とほんの少し違う、おかしな世界だった。
感動の短編からギャグへ。
周の文王が作った、竹と松で出来ていて、大豆を演算媒体に使うサッカー場くらいあるコンピューターで爆笑してしまった。動力は牛。
メッセンジャー
ある孤独な老人と未来からきたタイムトラベラーの邂逅の物語。
これも科学に対して明るい希望を投げかけるショートショート。
「人類には未来がありますよ」
カオスの蝶
冷戦下のユーゴスラヴィア。
NATO軍による爆撃を阻止するため、天候を操作し、雲のカーテンで祖国を守ろうとする話。
タイトルは「バタフライ効果」のこと。ソ連のスパコンで「敏感点」を演算し、ドミノ倒しの要領で、天気を変えて、雲を呼ぶ。
作者による後書きがあって、科学的に不可能な話ですよ。という但し書きがついている。カオス事象のワンダーな部分のみを大胆に描く。
それもまたプリミティブなSFの魅力。
詩雲
呑食帝国という恐竜種族に占領された地球。地球人の詩人伊依はサンプルとして呑食帝国よりはるかに強大な科学力をもつ“神”のもとに連れられる。
この短編は今の時代にこそ響いてくるテーマを持っている。
テクノロジーはアートを凌駕できるのか……チャットGPTの作る文学やミッドジャーニーによる絵画というものが、人間という存在の深い部分に光を当てることができるのか。
テクノロジーによって産み出された芸術も、それを感受する人間しだいなのは確かだ。
それと同時に認識の限界でもあるのだろうけど。
栄光と夢
貧困にあえぐシーア共和国に、オリンピックの招待がやってきた。
戦争で荒廃した国には、まともなアスリートなどいないのに。
かつて国民的なマラソンランナーであったシニは、異様な空気に包まれた北京の会場に向かい、アメリカの代表選手と対峙する。
戦争の代わりに、オリンピックで勝負をつける。
前代未聞の試みが為されようとしていた。
テクノロジーが活躍するハードSFではなく、極端な状況を導入するシュミレートSF。
ドラマチックな展開や人物描写は、『三体』が『三国志』ぽかったように、中国的な明快さを旨とする伝統が、劉先生のなかにあるからかもしれない。
作品全体に個人の自由さよりも、国や地球、太陽系のような大きなものに殉じる主人公が多い気がして、それは現代中国という特殊な環境がなければ産まれない面白さなのかもしれない。
円円のシャボン玉
砂漠化でゴーストタウンになってしまった故郷の街をシャボン玉で救う話。
シャボン玉というすごく身近なアイテムが、大掛かりなプロジェクトになっていく驚きは、日常を異化するワンダーに満ちている。
振り幅が大きいほど衝撃度合いも高まる…!
劉慈欣のSFは発想の大胆さもそうだけど、私たちが実感できるような身近な出来事と接点を持つことが、驚きを生み出している要因なのではないか。
日本だとこういう実用的じゃない研究には絶対予算がおりませんよね。
むしろ遊びみたいな研究の方に重大なブレイクスルーが隠されているかもしれないというのに。
ということを思いました。
二〇一八年四月一日
“改延”と呼ばれる延命技術が普及し、一部の富裕層が200歳まで生きられるようになった世界。主人公は複雑な金融システムを逆手にとって会社の金を横領する計画を算段する。
しかし、仮想空間を領土とするデジタル国家のサイバー攻撃で、電子化されていた金がすべて消されてしまった。全ての人間が一文無しになってしまったのだ。
ショートショートながら、劉先生の思索が垣間見える作品。
延命や冷凍保存、あやゆる決断をする私の過去、現在、未来は、果たして同一人物といえるだろうか。
全身の細胞は2日で入れ替わってしまうので、物質的には二日前と今の自分は別人ということになってしまう。
それでも、今も今までもずっと自分という存在が続いているという錯覚をもつ。
不思議なことだ……。
月の光
未来の自分から電話がかかってきて、環境問題の解決を託される話。
化石燃料を使わない未来のテクノロジーに関するアイデアを渡されるが……。
砂漠を耕して作ったシリコンで太陽光発電したり、地磁気で発電しようとしたり、もうなんなんだそれは……というぶっ飛んだ代替エネルギーが提示される環境SF。
しかし、どんな方法をとっても結局地球は荒廃してしまう。
SDGsなんてあるけど、エネルギーは絶えず消費するものである以上、減る一方で持続なんてとんでもない話だよなーと感じる。
石油にかわる代替エネルギーのアイデアを、こうも奔放に描けるだけでびっくりなんですが、そのテクノロジーが破綻してしまうところまで想像できてしまうところに、底知れない才能を感じさせます。
人生
人間の脳の空白部分には親世代の記憶が遺伝していて、量子的に隠されていた!
お腹の中の赤ちゃんに、母親の持っている全記憶を移植してしまったら…?
その人をその人たらしめているのは、記憶以外の何かかも知れない。
余談ですけど、作中の表記が、“顕性遺伝” “潜性遺伝”となっていた。
“優性遺伝” “劣性遺伝”なんてワードを使ってると、オッサン扱いですぜ。これからは。
円
読むの3回目。
『三体』作中の挿話を含めると4回目になる。
秦の始皇帝がみずからを暗殺しにきた荊軻を食客に迎え入れ、天のことわりが隠されているといわれる“円”、その円周率を計算しようとする話。
手作業で計算するのが不可能だと分かった荊軻は、秦の四百万の全兵士に手旗を持たせ陣形を組み、人間スパコンを作ってしまう。
初めて読んだ時はぶっ飛びましたとも。
noteでこの短編が先行公開され、その後に刊行される予定だった『三体』への期待が否応なく高まった。そして期待を裏切らなかった。
全体の感想とか
もうド直球のハードSFでしたね。
これだけ骨太なSFを書く人は珍しい。
なんとなく80年代のジェイムズ・P・ホーガンに似てるかもしれない。
文庫のあとがきではインタビューが追加されており、訳者の大森望氏と対談されている。
劉先生は宇宙と個人の直接的な関係をテーマに模索しているそうで、間接的(星を見上げて感傷的になったり、願をかけたりとか)ではい、宇宙って私たちにとってなんの意味があるの⁉︎現実的に!ということを考えているらしい。
環境問題とか戦争についてもっと真剣になるには、宇宙さえ掌にする巨視的な想像力が必要なんだろうと感じます。
より良い世界を夢見るために。
この他に23年夏、長編『超新星紀元』が出版待機中。乗り遅れるな!ということでAmazonリンクベタ貼り大集合でした。
さらに大森氏の解説も併読推奨↓
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