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雲のジンジュウロウ2

「衰弱して暴れるのをやめるまで日にちも掛かるし、困ったもんだな」子供蜘蛛は「人間なんて食べたくないよ、脳だって、筋肉だって不味いに決まってるよ。大体、後からこの世に来て天のために生きることを知らない生き物じゃないか」オイオイなかなか言うな若僧。しかし確かにそうかも知れぬと、胸が痛んだりする。「おとうさん、じゃ左の眼の水晶だけいただきましょうよ。結構いい輝きあるから、常備の美容にもなりますしお部屋があかるくなるんじゃないかしら」とお母さん蜘蛛のひと言で,ジンジュウロウ,は決心したってもんだ。どの世界の家族もそこは同じ筋書きが通用するもんだな。やれやれしかし命だけは助かりそうだな、左眼一個くらい無くったって生きてはいけるさ。この糸の網の頑丈さといったらヒトが発明したナイロンなんて比較にならぬ強さらしい。ピクリとも躰が動かないし観念するしかないな。夕闇迫る頃こっそりお母さん蜘蛛が顔の近くにやって来てまじまじと品定めでもするように顔のあちこち触り独り言「人間とはいえ、あんたもひとつの生き物だ。お天道様のお導きのもとに生かされてることくらい少しは解るでしょ。我儘に何もかも根絶やしにして生きてはいけないんだ。わたしだっておまえさんの左眼の水晶をすっかりいただく気なんて元からないのさ、それがわたしらの生き方ってもんだからね。さあ今、私が二重の糸の芯に貴重な消し汁をそれぞれ一滴ずつ入れるからね、そうすればたちどころに糸は溶け去るのさ、今夜はもう放してあげるからね改心おしよ」そういって左眼のところへ来て少し水晶に触れて吸った。接眼であるから彼女の言い聞かせ陶酔した美しい瞳が見えた、とその瞬間お尻から命綱のそれは美しい「けん引糸」を豪快に繰り出しターザンのように闇に去ったと同時に僕を絡めていた糸の網は消え去って躰の重みとこの惑星の重力が必然のものとなったのであった。
 立ち止まり少し左眼がかゆくてこすったら、壮大な妄想から解け僕は藪の夕闇を歩き出し広い人間の道路に出る頃にはもとの朝日のあたるウォーキングの日常に戻っていた。僕の今日という不思議。この惑星の人間の歴史四千万年蜘蛛の歴史四億年。敵わないよ。生きているということは不思議に尽きる。

*雲のジンジュウロウは
蜘蛛の陣十郎…1927年発表の大佛次郎の小説「赤穂浪士」の登場人物で俳優の宇野重吉さんが大河ドラマで演じられた強烈な印象を僕は忘れられない。蜘蛛を見かけると何故かそのイメージが同化するのであります。
#雲のジンジュウロウ
#大場章三
#@SPASERONIN

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