大愚和尚立派だなあ

批判日記を書こうとした。

ある日大愚和尚の批判を気にしない、と言う動画を見つけた。

大愚和尚

しかし視聴後に、結局は、大愚和尚に好感を持った。
でも、マーケティングの性質がある宗教は注意が必要、と言う話をします。

大愚和尚の批判を気にしないと言う動画を見つけて

こう言った動画を作ると言う事は気にしてることの裏返し、そして同時に普段から気になってた大愚和尚の行動への疑問が大きくなった。

自らゴリゴリ教えを発信して金儲けする姿勢。
仏教の戒律には自分から教えてはならない。と言う戒律があるが。

それは形式的な古くさいルールを言ってるのでは無く。

 宗教と言うカタチで活動する集団は、現代の資本主義と言う社会システムに置いては自らマーケティングをする性質があるとしまいにはカルト宗教になる危険性がある。

だからこう言う戒律があるんじゃないかと。


だからどの、お寺や、神社も、ピンポーンと訪問セールスにて来て、お参りと献金をしましょう!ご利益ありますよとマーケティングせずに、ひたすら、綺麗な神社やお寺を保つ、そう、ひたすらブランディングをしている訳だ。

 また、そもそもマーケティングにはニーズが満たされている人に、無理やりニーズを作り出す性質がある。だってそうでしょう、どんなCMもそうでしょう?あなたのお使いのシャンプーは本当に髪サラサラになりますか?こちらのシャンプーは!と満足して使ってるシャンプーよりもいいシャンプーを社会は進めてくるでしょう、今までのシャンプーで充分幸せだったのに!。

話を宗教的の世界に戻すと、宗教におけるマーケティングと言うのは、迷ってない人に、いや、迷いがある、とそもそも納得して生活している人の心をざわつかせる性質がある。
YouTubeで聞いてもない人に教えを発信する事は。
ただボーっとYouTubeを見てただけの人に、迷いを持たせる可能性は往々にしてある。

だって相談コーナーも、個別に相談乗ればいいじゃない、オープンにしてYouTubeで発信しなくても、聞いて来た人に教える事はできる。



自ら教えを見せつけない、これにはそれなりに合理的な理由がある。

だからお寺を食い物にしやがって!と言う意見の人
少し気持ちがわかる、大愚和尚を怒ってる人の気持ち、少しわかる。
少しね。

本当に少しわかる。

迷いたくなければ、今の世の中本当に、個人がメディアリテラシーをしっかりして不用意に情報過多にならないように気をつけるだけなんだが、SNSはひとたび開くと、ビックデータが無理やりオススメしてくると言う性質があり、煩悩発生装置と言っちゃあ煩悩発生装置と言える。

仏教は石ころの様に置いてくれてる教えが1番いいよね、必要としてない人に、こちら自らが聞いてよ、と聞かせる教え、これは時にはまよいの種。

石ころの様に落ちてる教えを、必要な時だけ聞く。

ただ結局、この動画を見ると、
批判や誹謗中傷があっても慈悲の瞑想で優しさを保ってると言う大愚和尚。
結局、立派だなあと感銘してしまったわたし。

 ただね、自らマーケティングする宗教が、何かの表紙でカルト化する可能性は大いにあると思う、ひょっとしたら大愚って人も、優しい人のふりして、マインドコントロールして金儲けしてるだけの可能性は大いにある。だって人の心はいくら妄想してもわからない、奥さんの心さえわからない。人がどう言う人、こう言う人と言う、思考は全て妄想。大愚和尚の本心はどうか、わざわざ妄想しないが、過去にカルト宗教による事件があったのは事実、過去のデータからの自衛と警戒と判断は有益。

迷いの素になる情報の取捨選択も有益。

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