偽善はクッキーの夢を見る
今日、職場の最寄り駅で福祉作業所の製品の販売をしていた。
クッキー、バームクーヘン、ハンドメイドアクセサリーと種類は様々だ。
どれも製品も、心をこめて作ったんだろうなあという温かみを感じられる。
わたしは特に、福祉作業所さんで作られているクッキーが大好きだ。素朴な味わいで、幼い頃に母が家で焼いてくれたクッキーの味にとても似ている。
なので、金に糸目をつけずにバカスカ買ってしまう。
美味しいからである(2回目)。食べきれない分は職場で分配する。
「買い過ぎかな?」と思うこともあるけど、こういう時に思い出す母の言葉がある。
「福祉のために使うお金に使いすぎというものはない」
我が母ながら、なかなかに名言である。お金の流れがクリーンなところに使うのであれば、それは生きたお金となって社会に循環するだろう。
でも、福祉関係のためにお金を使うために
「それって自己満足で偽善だよね」
という思いが何回も頭の中を交錯する。
作業所の人がかわいそうだから同情で買ってるんでしょ?
いい人気取ってる自分が好きなんでしょ?
ていうかわざわさこういうことnoteに書いてアピールする必要ないよね?
福祉作業所を盾にしていい人アピールですか??
どれも正論だし、何を言われても構わないし、反論する予定もない。
おそらくどれも私の中にある本音である。
障碍者の方に同情しているだろう。
「いいこと」してる自分が好きなのだろう。
noteに書くのも自己顕示欲のためだろう。
いい人アピール、そりゃもちろんしたいよ。
でも、わたしはやっぱり福祉作業所が作るクッキーが美味しいから。
疲れた時に、母の味を思い出すお菓子が食べたいから。
だから買い続けるし、食べ続けるよ。
偽善者上等!
何を言われても、クッキーのおいしさは変わらないのだから。