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主体性と能動性
暑いですね。オンラインでも最初の挨拶はこの一言。そんな中自宅の庭掃除をしていたらわずか30分で熱中症ぽくなり、大慌て。この暑さ危険です。
リアル面談の機会での楽しみは何よりも直接お話しできること。ランチミーティングになればさらに楽しい。
主語は?
何気なく発する言葉の主語って意識してますか?主語の置き方で言葉って180度変わります。しかも無意識なら余計です。
例えば「あの人に疎遠にされた」
この場合、主語は相手です。でも話を聞いていくといつの間にか主語が変わっている事あります。これって自分の無意識的な防御本能だとおもいませんか?
自分の立場を守る
相手がわるい
相手が心変わりした
この場合こんな背景があります
事例)10年来の知人から或る日突然やり取りがなくなります。
背景)その人のやり取りにいれた書き込みに対してクレームではないが、コメントがあったため謝罪の上、以後書き込みしないようしたところ、それを境にやり取りがなくなる。
これも、主語のおき方によって話は変わります。
主語が私 私が自ら連絡をしないと決めたのだからその結果
主語が相手 私は連絡しないと決めたが、完全に連絡をしないとは言っていない。相手が勝手にブロックしてきた。私は悪くない。
こんな構図成り立つと思います。
結論的にはどっちでも良い。
良い悪いの視点でに立つからこういう話が出てくるのだと。成長過程の中で、善悪での判断をする過程に触れ続け無意識にその思考パターンにはまってます。
と、同時にこの思考パターンも危険です。自分はそういうのに気がついてちゃんと事前に察知してますよ。と自己陶酔ぎみ。
事実に向き合い、思うとは2次感情であることに、気がつかないといけませんね。