読むだけで心が楽になる「受け入れる」生き方について
今日は私自身の人生が大きく変わるきっかけになった、思い入れの強い話を書きたいと思います。
弱い者ほど相手を許すことができない。
許すということは、強さの証だ。
ガンジー
私自身、以前は心が人一倍混乱し、強い無気力状態になったことが何度かありますが、その経験から、一番助けられた教えが「受け入れる」でした。
人が行動力を失ってしまう原因の1つとしてあるのは、潜在意識下で自分のことをゆるせない気持ちが強いのだと思っています。
いま動けない人は、動けている時の自分と比べて、自分を責めます。
また、テレビやyoutubeで活躍している誰かと比べて自分を責めます。
人に迷惑をかけていると思い、やはり自分を責めます。
責めることで自分を奮い立たせ、行動に結びつけようとする信仰のようなものは、多くの人が持っていると思いますが、
心が混乱している時は、特になんらかの理由をつけては、自分を責める方向にばかり氣が向き過ぎているのです。
心身ともに健全な状態なら、自分に厳しくするのは、ある程度結果に結びつくことができるかもしれません。
しかし、なかなか行動に結びつかない人ほど、心の奥底では、無用なまでに、なんらかの理由を見つけては、自分を責めすぎているのです。
「受け入れる」のは、真逆の発想です。
自分が、日常生活の簡単なことしかできない状態でも受け入れます。
失敗しても受け入れます。
誰かと比較して劣っていても受け入れます。
劣っている自分を受け入れられない、という自分も受け入れます。
どこまで行っても自分をゆるし、受け入れ続けることによって、不思議と人間が本来持っている自然なエネルギーが内側から湧いてくるようになります。
でも、これは今まで自分を責めてモチベーションにつなげていた人にとっては、このエネルギーを中心で生きていくには時間がかかります。
何度も、自分を責める声にかられますが、そのたびごとに「あなたはそのままで充分素晴らしいよ」というメッセージを根気強くかけていく必要があるでしょう。
何かが出来たら自分を称賛し、できなかったら自分を責めるという冷たい世界から抜けるには、出来ても出来なくても、自分は存在そのものが素晴らしいというところに立ち返ることことによって、自分も相手も受け入れ、ゆるしあえる世界に行くことができます。
同時に、存在そのものを受け入れる感覚が深くなるほど、周りからどう見られているというのが気にならなくなります。なぜなら、相手が自分のことに難癖をつけようとも、自分が自分を既に受け入れているので、相手の態度に一喜一憂する必要が無くなっていくからです。
そういう意味で、責めてくる相手の声というものは、根底では自分の声、なのです。
受け入れることを、逃げや言い訳に使わないでください。
失敗しても受け入れればいいんだ、というのは、ただの甘えです。
どんな自分でも受け入れていくことにより、意識が中立に戻り、心の土台が盤石になることで、今この瞬間に意識が向けやすくなっていきます。
仕事をしている人も、結果にこだわらなくなることで、今まで以上の成果を出しやすくなることでしょう。