ふるさと と 地方創生
大学院のゼミの課題で、想い出の写真1~3枚。自分のアルバムや、家族のアルバムを見るうちに、「ふるさと」に帰りたくなり、自分の原点をもう一度見直したいと、徳島県三好市池田町へ。
父ちゃんの墓を、そのままにしていたことを、今更ながら、悔やみつつ、飛行機に乗り、ふるさとへ。
そして2時間に墓掃除。と墓参り。
ふるさとって、やっぱり、当たり前ですが、ふるさとなんですよね。
匂いも、空気感も、自然も、そのまま。
その場にいると、昨日のことのように思い出す、走馬灯のごとく。
ふっと、考えますね「地方創生」って、なんだろうな~と。
どこから目線の言葉なのでしょう。。。。。
そこに、住む人が、日々を楽しみ、満足して生きているのに、それを外部から、何とかしようとするって、なんか違和感を感じるんですよね。
都市が前提で、地方も元気にって、なんか違うよな。。。
中学・高校の時の味は、今でも同じ味でした。
ここにこそ、価値があるのではないのかな?
確かに、駅前の人通りは、皆無です。
シャッター街の駅前と言われれば、その通りですが、栄枯盛衰、栄えたものは、いつか衰退し、そしてまた、生まれ変わる。いわゆる循環の途中と考えれば「地方創生」って、自然の摂理に反しているんだと感じます。
その「循環」を、先駆的にしているところが、同じ県の神山町。
5000人の町に、私立高専を創り全国から、企業を目指す15~6才が集う。これは「地方創生」ではなく、「日本創生」なのだと。
「ふるさとは、遠きにあって、想うもの」とは、よく言った言葉です。
でも、近くに行くことで、感じる五感があることも確か。
「ふるさとは、遠きにあって、想い、訪れ続けるもの」とも言える僕。
ふるさとがあること、自体が、幸せなのでしょうね。
こんな狭い、この国の中で。
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