noteにおける障害者ビジネスの知られざる実態について
障害者として生きていると、特にインターネットなどでは、障害者は努力が足りない。
甘えてばかりだ。甘えるな。日本は障害者を甘やかし過ぎ。などという言説が目立つ。
☆☆☆
たとえば、Googleではよく検索されているキーワードが保存されており、検索者のアシストをする機能がある。
私がいまGoogleで「障害者 あま」と入力すると「あま」に続いてよく入力され、検索されるキーワードが一覧で下記に表示されるよう出来ている。
このようにだ。
■検索キーワード「障害者 あま」の続きのアシスト検索
この一覧はGoogleの便利機能の一つで、「障害者 あま」の続きで日本人が何を一番多く検索バーに打ち込んでいる言葉なのかが分かる。
日本で障害者と言えば
■日本で「障害者 あま」と言えば
障害者 甘え
障害者 甘えすぎ
障害者 甘えてる
障害者 甘やかしすぎ
障害者 甘えるな
の順で検索されている。
交通事故で両腕がもげて所得ゼロになろうと、両目両耳を失おうと(私がこれ)、重度の精神障害で寝たきりになろうと、日本は精神論者の国なのだ。
平均賃金は障害者の場合、健常者時代の6割しか給料を受け取れないし、大学進学率にしろ、正社員比率にしろ暗澹たるものなのだが、日本は根性論の国なのである。
Intelを世界トップシェア企業にした最強経営者アンディー・グローブの言葉を使うならば、人間は見たいものしか見ない。見たい事実しか見ないが実現されている。
腕が両方モゲようが眼が2つ失われようが、自分の所得が低いことをより自分より弱い立場の人を見つけ出し、それを匿名で攻撃することで自分の境遇を慰める。
障害者のように、自分より弱い人間がいることで、そいつらに甘えるなよと言うことで自分を慰め、自分が努力する理由はないと自認させる。あいつらよりはマシだからだ。という論法である。
多数派は心理学の通りに自動で動いている。動かされている。それを自覚してはいない、自覚症状がないためだ。一番楽なパス(選択肢)を選んでいる自覚がない。
それはそれで別にどうでも良い。
なぜなら他者は他者だからだ。人間がゲームするのは他者ではなくまずは自分とのゲームである。
この記事では他者に打ち勝つゲームも後々執筆するが、まずもって己の人生とは、自己との戦いである。
本題に入る。ここ有料記事投稿サイトnoteにおいてもインターネットの人たちが言うように、障害者は努力していないのだろうか。
それとも逆にすごく努力しているのに、所得が少ないままなのだろうか。果たしてそのどちらなのか。
また、ミクロ経済学最高の学問であるゲーム理論を使うならば、どう戦うのが一番勝率を高められるのか。
ここ有料記事投稿サイトnoteにおける障害者版のゲームの勝ち方とは、一体どのようなものなのか。
これがこちらである。
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