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モノはずるい

僕「ピンちゃんはまいかが死んでもいいの?」
ピングー「(うんうん)」

……

妻に不安症状と解離症状が出た。
「死ぬ、死ぬ、死にたい、死にたい」と言って外に出ようとする。
それを止めていると、妻はピンちゃん(お気に入りのピングーのぬいぐるみ)を持ってきて、妻を止める僕の腕を、ピンちゃんの腕で叩き始めた。

そこで僕とピンちゃん(を持った妻)がしたのが、冒頭のやり取りだ。
僕は、ピンちゃんが「(うんうん)」と頷いた時、少し泣きそうになった。
ピンちゃんは妻のすべてを肯定してくれるんだ、すべてを肯定してくれる存在が妻にはいるんだ、僕にはできないことをピンちゃんはしてくれている、と思ったからだ。嬉しいのかなんなのか、特殊な気持ちだった。

……

モノはずるい、と思う。
モノは何も否定しない。
あらゆることを肯定している。
あらゆるものを肯定できる。

僕は、妻が死ぬと言って外に出ようとするのを止める。
それはある意味、妻を否定することだ。
死にたいと言っているのだから、それを止めるのは、否定だ。
でも、僕はそうするしかない。

僕が生きている人間である限り、僕は死のうとする人を止めざるをえない。
対して、モノであるピンちゃんは、死にたいと言う妻を肯定できる。ピンちゃんにとっては、妻が生きても死んでも、大きな違いはないのかもしれない。

……

僕だって妻を全肯定したいのだ。
でも、死ぬのだけは止めざるをえない。
なぜ生きている人間である僕は生きている人間である妻が死のうとするのを止めざるをえないのかは、今のところよく分からない。
とにかく今は、止めざるをえない。と思う。


そんなことを思う日があった。

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