夢
コックさんになりたかった。
忍者になりたかった。
警察官になりたかった。
宇宙に行きたいと思った。建築家に憧れた。
サッカー選手になりたかった。
これは私の夢の履歴だ。
幼稚園の頃だっただろうか。お利口さんな私は料理の手伝いをよくしていた。私が作った(盛り付けただけ)ものを褒められることが嬉しくて、コックさんになりたいと思った。ちょろい。
忍者はハリケンジャー。警察官はデカレンジャー。戦隊モノの影響だ。レッドよりブルーが好きだった。果たして、忍者は職業なのだろうか。
星を見るのが好きで宇宙に興味を持った。岩手は星がよく見える。
建築家に憧れたのはレゴブロックが好きだったから。
サッカーについては書きたいことが多すぎるので別の機会で。
そして21歳の私の夢。それは教員になることだ。
数ある職業の中からなぜ教員なのか。
最近ではブラックだのなんだの言われることが多い。「教員になりたいなんて頭がおかしい。」と、M下は言った。おい。目の前にいるから、やめてくれ。(笑)
言いたいことはわかる。ブラックなのは誰よりも知っている。私の両親は教師だ。祖父は2人とも校長先生だった。叔父も教員、叔母×2も教員だ。教員一家。私が教員を志した理由の一つは間違い無くこの環境だろう。父と母はいつも忙しかった。家でも仕事。帰りも遅い。だからおばあちゃんっ子だった。しばしば休日も学校に行く。行事も重なると来れない。「先生って大変だな」と、子供ながら思った。両親はよく学校の話をしてくれた。毎日、先生、生徒のおもしろエピソードを持って帰ってくる。生き生きとした顔で楽しそうに話す姿を見ていると「先生って楽しそうだな」と、思った。これが初めて教員に興味を持った瞬間、私がランドセルを背負っていたときの話だ。
あっという間に高校生になり、進路選択を迫られる。そのときには教員になりたいという気持ちが大きくなっていた。高校の先生になって、サッカー部の顧問になって、生徒と選手権に出たいと思っていた。よくある話だ。
大学で気持ちは揺れ動く。
教員一家であることが逆に悩みの種になった。
両親の真似をしているだけ?自分で選んでいるのか?思考停止してない?
他の仕事を知らなすぎる。社会に出てない自分が人に教育できるのか?
そもそも自分は教員に向いているのだろうか?
両親に疑問をぶつけた。なぜ教員になったの?
「給食が食べられるから。」と、母。忘れていた。私の母はこういう人だった。どこかずれている。しかも本人は至って真面目だ。
「大っ嫌いな先生がいたから。俺が先生になって教育を変えたかった。」と、父。熱い、熱すぎる。感情が見えないとよく言われる私は、本当にこの人の息子なのだろうか。濃い顔と額のシワは間違いなく受け継いだが、その熱さと鼻の高さも欲しかった。
「なぜ教員になりたいの?」 回答が見えてきたのは教育実習後だった。
①生徒の成長を実感
中学生の吸収力はすごい。授業の前と後では別人のようだ。体育でサッカーの授業をしたが、メキメキと力をつける姿を見ることができた。生徒の成長を1番近くで見ることができる教員という仕事に魅力を感じた。教えることは難しい。だがその分、生徒ができるようになったとき、分かってくれたときの喜びはとても大きく、自分のことのように嬉しかった。私は誰かのために仕事をしたほうが頑張れる人間だ。自分の頑張りが結果として実感しやすい教員は私の性格に合っていると思った。
②子供達の人格形成に関わりたい
中学生は思春期真っ只中。不安定で危うくて、めんどくさい。生意気だ。そんな年頃の子供たちをいい方向に送り出してあげたい。学園ドラマのような先生を目指しているわけではない。人生を180°変えるようなことはできないかもしれないが、フラフラしないように背中を押すぐらいはできる。
そんなことを考えるようになったのは、私自身の経験からだ。中学生の時に恩師(父・中学校教員)によって性根を叩き直された。今思い出すと、あれが大きく成長するきっかけになったなあと思う。長いので割愛するが。そんな経験から人格形成に関わるのなら中学校の教員だなと考えるようになった。
以上。
願書も書かなきゃいけないので、教員になりたい理由をまとめてみた。世界を舞台に活躍する仕事や、クリエイティブな仕事、年収ウン千万の仕事とかにももちろん憧れるけど、人には向き不向きというものがありまして。仕事に求めるもの、自分の性格、どんな人間になりたいかを考えた時にしっくりくるのが教員だった。教員は常に人と関わる仕事。生徒、先生、保護者などなど。一生のうちにどれだけの人たちと出会えるのか。人と関わるからこそ、サプライズやトラブルの連続。忙しい。けどやりがいしかない。人間にしかできない仕事。それが私の思う教員だ。
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