「頑張る」と言うこと

 仕事や勉強において「頑張る」ことが求められている。それは構わないのだが、そこの部分だけ評価すると言うことは、単なる甘やかしであり、付け上がるだけなので要注意である。
 
一言でいえば、「頑張るのは当たり前。結果が大事。」なのである。社会において一番大事なのは結果であり、それを説く人物は少なくない。しかし、彼らの中には「結果が出るならば、頑張らなくても良い」と言っている奴がいるが、そいつだけはどうも賛同しかねる。それは後ほど説明する。

 私は頑張って結果を出すこが絶対善であり、頑張らず結果を出さないのは自業自得の絶対悪と断ずると言うより、説明するまでも無かろう。と言うことで、「頑張っているのに結果が出せない人」と「頑張らずに結果を出す人」に焦点を当てて論ずる。

・「頑張ってるのに結果を出せない人」の特徴
 そもそも、「頑張る」と言うのは抽象的な概念であり、誰がどのようにして定義したものかわからない。なので、自分が頑張ってると思ったのか、他者に頑張っていると評価されたのかと言う二点に絞って論ずる。
 自分で頑張ったと思ったら、これはただの自己満に過ぎない。見ていて実に滑稽である。そもそも、頑張ったと言うのは結果を出した人が辛うじて社交辞令として言うセリフである。本来なら、身を粉にして頑張って結果を出したとしても「一難去ってまた一難」として「まだまだ頑張りが足りない」と謙遜するのが当然の礼儀である。
 他者に頑張りを評価されていると言うならば、その評価をする人は単に甘やかしているだけに過ぎない。おそらく、「頑張っているのだからいつかは結果を出せる」と期待の意味を込めてなのであろうが、これは期待をするだけ無駄である。何故なら、頑張っている人は志を持った時点で最初から頑張っており、それは当たり前のことと思っているからである。
 この二点より炙り出されたのが「頑張っているフリをするゴミクズ」であるが、こいつの質の悪さは目に余るものがあり、ボコボコにドツキ回してやらないと調子に乗り、モンスター化する。連中は実は頑張っていないと言うことがお判りいただけただろう。頑張っているように見せる人であって、実は怠け者である。怠け者と思われたくないから頑張っているフリをしている。そもそも頑張って結果を出す人は頑張っているアピールなどしない。

・「頑張らずに結果を出す人」の特徴
 「頑張らなくても結果オーライで、それでいいじゃないか!」と言う人がいる。反日左翼や共産党員など、楽観主義者に多い。
 低俗極まりない博打で偶然泡銭を手にするような感覚であり、よく言う「悪銭身に付かず」と言う奴である。たまたま運が良かっただけであり、「天才」だの「直観力」だのチヤホヤされていてはこいつらは調子に乗って破滅するだろう。だからこそ、こいつらの欠点を常に突き身の程を弁えるよう窘めるしかない。しかも、「頑張らずに」結果を出しているため、そういう分野から徹底的に搾取して手足をも出ないようにして脱価値化をしなければいけない。頑張らぬものに良い報いが来ないと言う世の中の真理を知らしめるわけだから、それは絶対的な善である。

結論、頑張ることは当たり前であり、結果を出してナンボであるが、いずれも絶対条件であることを強調しておきたい。そして、頑張っているフリをする奴は死んだ方がいいゴミクズだと言うことを声を大にして言いたいし、こういった風潮へと改善されることが望まれる。

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