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自閉症だったわたしへ
『自閉症だったわたしへ』ドナ・ウィリアムズ著
わたしってそんなに「変でおかしな子」なの?
幼い頃から、周囲の誰ともうまくつきあうことができず、いじめられ傷つき苦しみ続けた少女。
家族にも、友達にも、学校にも背を向け、たった一人で自分の居場所を求めて旅立った彼女が、ついに心を通い合わせることができる人にめぐりあい、自らの「生きる力」を取り戻すまでを率直に綴った鮮烈にきらめく、魂と軌跡の記録。
置かれた環境で輝く
置かれた環境の中で精一杯運命を切り開いていこうとする不屈の意志と、自分自身の行動についても他人の行動についても深く考えることができる、秀でた力がドナの素晴らしいところ。
虐待された経験は戦争と比喩
虐待された子どもでも、親にはそれなりの愛着を持つものだというが、彼女の場合はそのようなものを感じたことは一度もなかった。
虐待された一連の出来事を彼女は、「戦争」という言葉で表しているところがある。勝ち負けで判断しているのだが、このような判断基準でないと、生きていけなかったのだと推測した。
心を開くとは?《考察を含む》
やがて本当の自分を理解してくれる人に出会う。心を開いていく様が、とても繊細に描かれている。
やはり心を開くという行為は、それまで心を開いたことが無いという自覚のある者にとっては、とても辛い、とても大きなハードルとなるのだと思う。
私は、怖いという気持ちが先行していて心を開けなかったと思っているが、今でも本当に人に心を開いているのかを疑問に感じるときがある。
人は、「何者か」を演じないと生きていけない生き物なのかも知れないとも感じるからだ。
だからこそ、アドラー心理学や『嫌われる勇気』という書籍が流行し、毒舌を売りにする芸能人がテレビを賑やかしているのではないか。
みんな、「心を開ける人」に憧れているのかもしれない。
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