謝罪することは感謝すること
誰よりも親身に謝罪してくれた人は誰よりも温かかった
私は現在『放課後等デイサービス』に勤めている。
放課後等デイサービスとは、Wikipediaによると、児童福祉法を根拠とする、障がいのある学齢期児童が学校の授業終了後や学校休業日に通う、療育機能、居場所機能を備えた福祉サービスである。
つまりは、放課後の児童を預かるサービスである。
私も小学生時に『学童保育』に通っていた。私が通っていたところは、障がいのある子ども専門では無かったものの、学童保育という点では、活動自体は同じようなものだった記憶がある。
私の通っていた学童保育に来ている子供たちは、どんな子供たちなのかと言うと、ひとことで言えば“鍵っ子”である。これは、「(自宅の)鍵を(持っている)子」の略称になる。
私が育った昭和50年代というのは、日本全体が高度成長期の真っ只中であり、働くほどにお金が稼げる時代だったため、自然に“共働き”という言葉も生まれた。
そんな共働きの家庭では、家に帰っても家には誰も居ない家が増えていた。
子供だけでは心配だろうということで、国が作った制度であるが、現在ではこども家庭庁と文部科学省が共同で『放課後児童クラブ』の語が持ちられているようである。
現在でも、共働き世帯は多いのだが、昭和50年代当時も多かったのだ。
小学生の時、学校が終わると一目散に学童へ駆け込んだ。
学童保育内には、小学校一年生から六年生までの児童が満遍なくいたこともあり、友達を作る必要などなかったのだが、言い方を変えれば学童内の児童の全てが友達だった。しかも、学年を問わないため、部活動のように縦社会も学ぶ事ができた。
上級生には敬意を持って、下級生には優しく接する。こんな、“当たり前”のことを学んだのである。
学童の先生は、「ソックス」と呼ばれていた。
学童内では、みんなを“あだ名”で呼ぶ事が決まっていて、中には「あだ名は嫌」という子供がいたのだか、その子に対しては本名で呼んでいたのだ。
ソックスの本名は、“道下(みちした)先生”だった。
ソックスという“あだ名”で児童たちにも呼ばせることで、「先生」という敬称を取り除いていたのだ。おそらくそれは、ソックスの意図だったのだと、今にしたら思う。
ソックスは、熱血感あふれる先生だった。
どんなことでも、体当たりで挑んでいた。遊ぶ時も手加減はしない。勉強も必死に教えてくれた。そして何よりも、“礼節”に厳しかった。
悪いことをしたら、謝ることはもちろん、徹底的に相手の気持ちに立たせることを子供達に教えた。
「こんなことをしたら、相手がどう思うか」
「こんなことを言ったら、相手はどんな気持ちになるか」
そんな道徳教育を、一番重んじたのである。
公園などで遊んでいると、思わずテンションが上がってしまって、悪ふざけをする事がある。これ自体、子供なら致し方ない事だと思うのだが、ソックスはそれさえも「仕方ない」では片付けない。徹底的に向き合うのである。
悪いことや悪ふざけをすると、ソックスから問い詰められる。
どのような言い訳もゆるさない。
「でも」「だって」はすべて言い訳になった。だから、言い分を話すことさえも、十分な時間をもらえることはなかったのだ。
そんな中で、ソックスが行ったのは、「考えさせる」という行為である。
「こんなことをされて、相手はどう思うと思うんだ?」
このような質問がソックスの口から飛んでくる。
大抵の大人が相手の時は、そこで沈黙をしていたら、やり過ごす事ができる。
何もいわず反省しているふりをする、というやり方はコツを得ると、これほど楽なものはない。時間が経過することを待てばいいだけだ。しかも、何時間も粘る必要はない。
しかし、ソックスは違った。
何時間でも、“子供自身の言葉で話すまで待つ”ということをした。
これは答える。子供にとって、逃げ道がないことは絶望的な状況と言っていい。
ただ、ソックスはその場にとどまっていう状態のまま、いつまでも待つのである。
逃げ道をなくすことはしない。
ずっと、待つのである。
「俺は、お前のことを信じている」
そんな言葉を、ソックスが吐くことはなかったが、そんな言葉を話して聞かせているようにも見えたのだ。黙って、まっすぐに子供の目を見るソックスの眼差しには、じんわりと温かさが伝わってくるようだった。
“自分ではない誰か”が怒られている時でも、まるで自分が怒られているような感覚になったほど、ソックスの心の痛みが伝わってくるような叱り方だったのだ。
そんな時、事件は起きた。
私の家庭は父と再婚した継母との三人家族だった。
決して裕福ではなかったが、それでも不自由はしていなかった。
それにも関わらず、私は近所のスーパーで万引きをしたのだ。
盗んだのは、一個七十五円のチョコレート一つだった。
バレないと思っていた。そもそも、見ている人など存在しないと思っていた。
しかし、その一部始終を、ソックスが見ていたのだ。
偶然だったのだろう。なぜなら、ソックスの自宅は、そのスーパーの向かい側だったからだ。たまたま向かいのスーパーに買い物に来たのだろうと推測する。
うまく店の人には見つかることなく、店の外で開封したチョコレートを食べていた。
すると、スーパーから買い物袋を持ったソックスが出て来たのだ。
私は焦った。しかし、見られていないだろう、きっと大丈夫。そんなふうに思っていた。
ソックスは、まっすぐに私の元に向かって歩いてきた。
ゆっくりと歩いてくる。心臓がドキドキした。
「だるま(私のあだ名)、そのお菓子、どうしたんだ?」
心臓が口から出そうだった。怒られる!突発的にそう思った。
普段から、父が夜遅く酔っ払って帰ってくるたびに、私は嘘をついていた。私の普段の様子を継母から聞いた父は、私に勉強をしていないとか、いたずらを行なったなどの理由で手を挙げたからである。
殴られないようにするためには、どんなことでも嘘をつくようになっていた。本当の自分を偽って、悪いことを隠すことはもちろんだが、良いことも盛って話すようにもなっていたのだ。
それでもバレた時は、何倍も怒られたのだが、そうしたリスクを差し引いても、嘘をついた方が回避できる確率が良かったのである。
「買った」
いつものように、突発的に嘘をつく。私は、内心ドキドキしていた。ソックスに嘘をついたのは、この時が初めてだったからである。
「お釣りは?」
「ちょうど持ってた」
そこまで会話を交わすと、ソックスは静かに「こっちにおいで」と、私とともにスーパーの店内に戻った。
ソックスは、重苦しい空気を保ったまま、入ってすぐのところに立っている、女性店員さんに話し始めた。
「すみません、“うちの子”がこちらの商品を盗ってしまいました。申し訳ありません」
そう言って、ソックスは深々と頭を下げる。
やがてやってきた、店長さんらしき男性にも、同じように話し始めた。
「“うちの子”が、お店の物を盗んでしまいました。本当に申し訳ありませんでした」
そう言って、深々と謝罪したソックスの腰は直角に、いや、それ以上に曲がっていた。土下座をするのではないかとさえ、思えるほどの角度である。
そして、私の頭に手を乗せると、ソックスはグイッと押し込んだ。その力は強く、優しく感じた。その優しい手によって、促されるように私もソックスの隣で頭を下げたのだった。
夜になって、自宅にソックスが来た。
両親と話があるからと、ソックスに言われるまま、私は自室に入った。
「もう寝なさい」
そう言って、深刻な空気が漂うリビングの雰囲気を感じながら、隣の部屋の私は真っ暗な中、ソックスと両親の話に聞き耳を立てていた。
明くる朝、継母は何事もなかったかのように、学校に送り出してくれた。
てっきり、ソックスが帰った後、叩き起されるものだと覚悟していた。
いつもの両親なら、確実にそうしていたからである。悪いことをした日の夜は、何時になろうとも父から折檻を受けていたのだ。ましてや、昨日行なったのは万引きである。今までで一番大きな事件と言ってもいい。なぜ、起こされなかったのか、不思議でならなかった。
どんな話になったのか、昨晩は聞き耳を立てたが、よく聞こえなかったのだ。
不気味に感じて、余計に不安に思っていた。不安に思ったまま、放課後が訪れた。
学童への足取りも重い。普段なら、楽しく通っていた学童保育に、初めて「行きたくない」という感情が生まれた瞬間でもあった。
ソックスは、私を見るなり、明るい笑顔でこう言った。
「おかえり、だるま!」
何がどうなったのか、わからない。
確かに、私は昨日、万引きをした。
しかも、隠そうとまでした。
嘘までついた。
その暁には、自宅にソックスが来たではないか。
それなのに、なぜ、誰も何も言わないのだ。
スーパーで謝った時、店長も「もう、今後ないようにきちんと叱って下さいね! お父さん」と、ソックスに向かって言っていた。
結果的に、誰にも怒られていない。
店長にも、ソックスにも、両親にも、学校の先生にも、友達にも。
昨日のことなど、誰も知らないようである。
なぜなのだろうか。困惑したまま、その日は終わっていった。
その翌日も、そのまた翌日も、誰も何も言わない。
そんな日が何日も続いたある日、ソックスから誘われた。
「だるま、明日は学校休みだから、俺ん家に遊びにこいよ」
万引きした日から数えて、初めての週末だった。
ソックスの家に泊まりに来いという誘いだった。
緊張した。絶対に怒られるではないか。
今度こそ、間違い無いだろう。
夜になって、ソックスの家に行った。
緊張で強張る私を尻目に、ソックスは満面の笑みで私を迎え入れてくれた。
ソックスの家は、オンボロアパートだった。
私が住んでいたアパートが、マンションに見えるほどの、オンボロ具合だったのだ。
トイレも、風呂も共同だった。アパートは全部で八世帯あったが、“八世帯で一つ”である。そんなアパートを見たのは、後にも先にもこれが最初で最後だった。
「今なら誰も入っていない! チャンスだ! すぐに行くぞ!」
誰も入っていないのを確認して、ソックスは楽しそうに私と風呂に入った。
どうやら、順番は決まっていないらしく、誰も入っていなければ、入れるシステムらしい。それはそれで、何だか楽しかった。
いつの間にか、私は事件のことなど忘れて、ソックスと楽しい時間を過ごした。
いつもなら多くの子供たちに囲まれているソックスを独り占めできている喜びは、何にも変えられない幸福感があった。
嬉しくて、楽しい時間だった。
時間なんて、存在していないように、あっという間に『楽しい一泊旅行』は終了したのだった。
楽しい話しかしていない。
笑っていたら、いつの間にか終わっていたのだ。
それから、何度か、ソックスの家に泊まりに行くようになった。
その度に、楽しくて幸福な時間が過ぎていった。
ソックスのことを、今、思う。
あんなオンボロアパートに住んでいたソックスは、経済的にも恵まれていなかったはずだ。泊まりに行っても、豪華な食事は出てこなかった。
それでも、「何を食べるかよりも、誰と食べるかだ」ということを教えてくれた。
事件について、私を一度も叱らなかった。
私の中で、ソックスという人は、もっと情熱的に起こる人だった。
だから、あの時も怒られると思っていた。
それなのに、一度も怒らなかったどころか、両親さえも怒らなかった。
思えば、万引きをした日の夜、私に自室で寝ているように促したのは、ソックスだった。きっと、両親にも怒らないように言ってくれたのだと思う。
それは、私が怒られるたびに、折檻されていることを知っていたからだろう。
そのことを確認するために、自宅に呼んで、一緒に風呂に入ったのだ。
体の傷やアザは、ソックスの心にどのように映ったのだろうか。
ソックスは、温かくて優しい人だった。
学童保育がなくなってしまった今、ソックスに会って確認することはできないが、私のことを含め、子供達のことを一番に考えてくれる人だったに違いない。
それを証拠に、オンボロアパートに住みながらも、辛い顔など見せることなく、いつも満面の笑顔で子供たちと全力で遊んでいたではないか。
覚えているソックスの顔は、笑顔だけだ。
『放課後等デイサービス』に勤務し始めたのは、そんなソックスに、感謝と謝罪の意味を込めている。
今の私があるのは、ソックスのおかげなのだ。
「だるまは、キツく叱らなくても、ちゃんとわかるいい子だよな」
そんなソックスの声が、今も聞こえてくる。