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難しい言葉で書くのは簡単

難しい言葉を使うことは自己満足


難しい言葉は二度手間になる

専門用語や横文字を使う人がいます。
あたかも、自分は知っているんだ、と自慢しているようです。専門的なことを話している時に、専門用語を話すのなら理解できます。しかし、何気ない会話の中で、こうした難しい言葉を使うことがあるんですよね。
急に「マジョリティ」とか言われても、
「マジョリティって、多数派だっけ?少数派だっけ?」
となってしまって、対応できません。

会話の途中で、こうした難しくて、ググりたくなる言葉を使われると、一旦グッと我慢して、その場はわかったようなふりをしてやり過ごします。
その後、会話が終わった後に、ググってみる。

そんな、二度手間が発生します。
何が大変かって、会話の間、ずっとその『難しい言葉』を覚えていなくてはいけません。覚えていないと調べられない。でも、会話はどんどんと先に進んでいく。会話にはついていきたい。でも、調べたい。
こんな忙しい状況になってしまうのです。

忙しすぎて、会話どころでもないですし、頭もフル回転で疲れてしまう。
何気ない会話をして、気分転換していたはずなのに、何よりも疲れてしまう。これでは、何のために楽しく会話を楽しんでいたのか、わかりません。

これが、会話ではなく、文字だったらどうでしょう。

例えば本を読んでいる時、やたらと難しい言葉を並べている本があります。
教科書なの?! とツッコミを入れたくなるような難しい本は、読んでいていても理解できません。
そんなときは、どうするでしょう。

付箋を貼って後で調べたり、その場で調べたりしますよね。アンダーラインを引いたり、角を折っておく人もいるかもしれませんね。
このような工程を繰り返していると、一冊の本を読み終わるのも、かなり時間がかかります。時間だけかかっていて、なかなか読み終わらないと、どうしても集中力がなくなっていきます。すると嫌になってくる。当然です。
結果的に、その本を読むことを諦めることにつながっていきます。
挫折してしまうんですね。

読書で挫折をする多くは、こうした難しい本を読んでいる時に、集中力が無くなってしまうことが原因です。
皆さまも経験があると思います。何度読んでも理解できない本は、読むことをやめたくなりますよね。

ではここで、なぜ難しい言葉で書かれた本は、理解できないのかを考えてみましょう。

難しい言葉で書かれているものを読むと、理解できなかったり、半分は理解できたり、雰囲気は伝わったりと、私たちの頭の中では、さまざまな反応をします。
このとき、これらの一つ一つの理解度を、それこそ一つ一つ覚えておくことは難しい理由は、二つの意味があるからです。

  • 『難しい言葉』としての理解度

  • 『言葉の意味』としての理解度

この二つを、冒頭で書きました「マジョリティ」を用いて説明します。

  • 難しい言葉としてというのは、「マジョリティ」という言葉の意味です。

  • 言葉の意味としてというのは、「マジョリティ」が何に対しての言葉か。

ここで言いたいのは、難しい言葉を使ったときにだけ、上記の二つの意味が存在してくるということです。
難しい言葉を使わず、簡単な誰にでもわかる言葉を用いて説明すると、一つの意味だけを考えれば読めるようになるのです。

つまり、『言葉の意味』としての理解を深めるだけで、本を読み進められます。
「この言葉は、何について書いているんだろう?」
ということにだけ、注力していくだけで、読めるようになるのです。
「こんな言葉、知らないな。どんな意味だろう」
ということは、無くなるんですね。

ですから、読みにくい漢文や古文は
「物語云々よりもまず、何が書いてあるのかがわからない」
となるわけですね。

これは、書き手にとってはかなり致命的ですよね。
まずもって、読んでもらえません。
平安時代の人が書き残したものなら仕方のないことですが、現代の人が現代人に向けて書いている内容なのに、難しくて読みにくいというのはとても残念です。

なぜこんなことを、急に書こうと思ったのかといえば、私がこの当事者でした。私の文章はとても読みにくかったんです。
私の場合は、これをわかっていてやっていました。
つまり、わざと読みにくい文章を書いていたんです。

本を読んでいく中で、カッコいい言葉や表現を真似してみたいという欲求を満たしていました。
小説で、美しい表現をみつけたら、使ってみたい! こんな風にカッコいい小説を書けるようになりたい。
こんな難しい言葉の意味を知っていることが嬉しい。
とにかく、カッコいいことばかりを追求していました。
読み手のことは考えていなかったんです。
「読めるもんなら読んでみろ」
くらいの気持ちで書いていました。

ただ、他人に伝えるために書いているのに、これではいけません。当たり前ですし、当然です。
これからは、読みやすい文章というものを、意識して書いていくという訓練もしていきたいと思っています。

もちろん、小説のような、カッコいい表現を書きたい気持ちはあります。
小説を書くことも続けていきます。
どちらも、訓練ですね。

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尾崎コスモス/小説家新人賞の卵
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