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映画『オッペンハイマー』の感想文

日本人であることの誇りを持つ瞬間


映画『オッペンハイマー』を見た

J・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer、1904年4月22日 - 1967年2月18日)は、アメリカ合衆国の理論物理学者。
理論物理学の広範囲な領域にわたって大きな業績を上げた。特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」として知られる。戦後はアメリカの水爆開発に反対したことなどから公職追放された。
1960年9月に初訪日して東京都・大阪府・京都府を訪れている。

Wikipedia参照

映画『オッペンハイマー』を見た。

映画『オッペンハイマー』プライムビデオ より

正直に言って、とても不快だった。
わたしが日本人だからだろう。
原子爆弾を開発する際に生まれた彼の苦悩も、実験を真剣に行なっている一方で、その実験結果を賭け事のネタにして、お金のやり取りをするエンタメとしてもてあそんでいる様子まで、何もかもが不快に思った。

オッペンハイマー自身は、とても不遇な人生を送っている。
だからこそ、そこを見たくて映画を観た。
その部分を見ることが、映画を観るに至った動機だった。
それでも、その部分よりも心に大きく残ったのは、
「間違いなく言えるのは、日本人は喜んでいないだろう!」
という、原爆を広島と長崎に落とした後に彼自身が行なった、『ミッション成功演説』の言葉だった。

アメリカが当初『予定していた死者数』は、
広島と長崎で、それぞれ2~3万人だった。
それ自体を「これでアメリカ兵が家に帰れる」と喜んでいることへの、『必要な犠牲』と捉えているところもいたたまれなかった。
しかし、歴史が語っているのは、もっと大きな被害を日本という国自体に味あわせるため、『空中爆発』という選択をオッペンハイマー自身が行なったとされている。
爆発させるタイミングを調整することで、被害を最小限に留めることができたのだ。それを、被害が最も大きくなる方法を選択した。
それによって、広島32万8,929名、長崎18万9,163人の合計51万8,092人。(2021年8月時点)
この数字は、被爆の後遺症で亡くなる方を追加することで、毎年、その数が増加しています。

8月6日に広島に落とされたのは、ウラン原爆。8月9日に長崎に落とされたものはプルトニウム原爆です。
核兵器が実戦で使用されたのは、世界でもこの2都市だけです。

アメリカ軍の爆撃機が広島・長崎の市街地に投下した原子爆弾は、街を焼き尽くし、一瞬にして多くの市民を殺傷しました。

原爆の特徴の一つは、爆発の瞬間に膨大なエネルギーが放出されることで大きな破壊力があるということ。
そして、もう一つの特徴は、爆発時に大量の放射線を浴びることで、その後長期に渡る人体への影響で、いつまでも苦しめられるということ。
このこと自体を、当時のアメリカは理解したうえで、投下したのです。

苦しめらる日本人としての心

こうした内容を見て、どのようにお感じになりますか?
わたしと同じように、不快に思った方が多いのではないでしょうか。

ここからは、なぜそれが不快に感じるのかを、考えたいと思います。

わたしは、東海地方という、日本全国でいえば中部地方という場所に住んでいます。
第二次世界大戦に、祖父でさえもほとんど記憶の無かった我が家において、原子爆弾というワードは、『聞くだけで心苦しい言葉』ではなかったのです。
むしろ、教科書に載っている程度の、『机上の出来事』として、対岸の火事くらいにしか感じていませんでした。

ところが、アメリカの視点で描かれたものを拝見すると、日本人としての心になり、心を痛めることができました。
特攻隊員の話も、『歴史上の話』として聞いた時には、「そんな時代もあったのだ」と思うことはあっても、親身になって涙を流すほどの気持ちにはなりませんでした。

とうぜん、特攻隊員を家族に持った方々は、『特攻』という言葉を聞くたびに、涙が溢れて止まらないでしょう。

もちろん、わたしも『特攻隊員について語られるドキュメンタリー』や小説などを拝見したら、涙が溢れてきます。

この、対岸の火事から、自宅の火事になるまでの間には、何が存在しているのでしょうか。

日ごろ、「私は日本人だ」と思って道を歩いている人は少ないでしょう。
それは、周囲にも日本人しかいないからです。
周囲に外国からやって来た方ばかりだったり、外国に出向いた時には「私は日本人だ」ということを強烈に意識して道を歩くでしょう。

愛国心を持っていた三島由紀夫

先日、「愛国心」の話を、友人としたことがあります。
「日本人には愛国心が足りない」と、友人は熱弁していました。
わたしもそう思いますが、かつて戦時中の日本人の心には、「私は日本人だ」という思いが猛々しくあったと思います。
それは、外国に目が向いていたからで、外国から見た日本、日本がこれから目指す場所、日本が担う役割などに、皆が興味を持って考えることができたのです。

三島由紀夫が東大全共闘との討論を交わした様子は、小説としても書かれていますし、ドキュメンタリー映画としても公開されています。

その中で、東大生たちの日本国や天皇、世界からなめられてはならぬという、愛国心のかたまりであることは、言葉や行動の端々から感じることができます。

それを見るだけでも、三島由紀夫が『憂国』という小説の中で、日本について大きく言及していることにも、納得できます。

戦後は、日本という国について、もっと国民全体が真剣に考えていたのです。
対岸の火事ではなく、まるで自宅が燃えているような危機感を感じては、それに一喜一憂して感情を爆発させていたのです。

わたしたちは、令和の現代において、日本人として大切なものを失いつつあることは確かです。
しかし、その大切なものが何なのか、説明できる人は少ないでしょう。

そんな日本人こそ、『オッペンハイマー』は見るべき映画なのです。

この映画は、『オッペンハイマー』の生きざまを描いた映画であると同時に、失われてしまった日本人の心を取り戻すための大切なメッセージが詰まっている作品であるという結論で、この記事を締めくくりたいと思います。

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尾崎コスモス/小説家新人賞を目指して執筆中
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