見出し画像

社会のルールを守る人と逸脱する人

ルールは変化している

私はルールに厳しい性格だ。
子供の頃は、もっと厳しかったが、現在でも割と厳しい方である。
列に並ばない人を軽蔑するし、厳格にルールが定められている場所の居心地が良かったりする。
それと同時に、自分自身がルールを逸脱していないか、かなりビクビクしているのだ。
ルールを守る人のことが好きである以上に、ルールを守る自分のことが好きなのである。
これは、子供の頃から耳にタコができるほど聞かされた言葉が原因である。
「人に迷惑だけはかけるな」
「隠れて悪いことをしても、神様はすべて見ている」
この言葉たちによって、私の価値観は作られたと言ってもいい。
“価値観”なんて軽いものではない。生き方そのものである。

「人に迷惑だけはかけるな」という言葉は、子供の頃の私に重くのしかかっていた。
「迷惑だけ」の“だけ”という言葉が持つ意味を、私は大きく捉えていたのである。
父はこの言葉を軽い気持ちでは言っていないと思うのだが、それほど重くも言っていなかったのだろう。現在では忘れているほどである。
しかし、当時の私は、「迷惑だけ」の“だけ”という意味を、「どんなことをしてもいいが、迷惑をかけることは許さない。例外など存在しない」と捉えていた。
それによって、私は現在まで、他人は元より、両親や友人にも何も相談すらしないという人生を歩んできた。
まさに、「迷惑“だけ”」はかけないように生きてきたのである。
これによって、生活に困窮して今日食べるものがなくても我慢した。
結婚する時も離婚する時も、誰にも相談しなかった。それどころか、中学卒業時に進路希望を先生に提出する時でさえ、自分一人で決めているのだ。
何を決めるにも一人で決める。
それが私の生き方となったのである。

「神様はすべて見ている」という言葉についても、私は重く受け止めていた。
“常に自分を見ている自分”がいた。上から自分を見ていたのだ。
そのように感じていたせいで、未だに立ち小便すらしたことがない。
悪いことをしないことはもちろん、“恥じた行為”そのものをしないようになったのである。だんだんと「悪いこと」から「ルール」や「規範」的なものも、守ることが当たり前となっていったのだ。
そうして、社会のルールに厳しい人間が作られていったのである。

次第に私の中で、ルールを守ったり、空気を読むことができる人のことが好きになるようになっていった。
そのように振る舞っているうちに、そのように振る舞う人のことしか、認められないようになっていったのである。
控えめで、ルールを守り、決してはみ出さない人。そのような人になりたいと考えるようになった。

空気を読めない人というのは、たいへん強い。
空気を読む人というのは、空気が読めない人には勝てない。
カフェにて大声で通話している人は、それをマナー違反だと思っている人のことに気づかない。結局、マナー違反だと思っている人の方が居心地が悪くなって退席することになるのだ。そして、大声で通話している人は、その場に残る。
注意することも、争いが起こる原因にもなると思えば、空気を読む人は直接的には注意できない。
「察しろ」という目線を向けることが精一杯であるが、その視線に気付くくらいなら、そもそも大声で通話などしない。
結局、空気が読めなくて、ある程度ルールを逸脱する人間の方が、世の中は生きやすくできている。
古来より、日本人が美徳としている生き方そのものが、世界では生きにくい文化と言えるのだ。

鎖国を長期的に実施したおかげで、日本独自の文化は育ってきた。
吉田松陰や松尾芭蕉といった、文献を残した偉人によって、日本の文化というものが守られていたことは言うまでもない。
しかし、それを世界に向けた途端に、日本独自の文化を守るだけではなく、少しずつでも異文化を混ぜ込んでいく必要があるのである。

ルールというものは、曖昧なものだ。
いくら言葉を尽くしても、言い表すことはできない。
『PL法』などの施行によって、「手を切らないように」や「熱湯で火傷しないように」など「こんなことまで書くのか」と、呆れるようなことが書かれている商品が世の中に溢れている。
そもそも日本という国は、言葉を大切にしてきた文化とともに重要視してきたのは、「書いていないことを読む」という文化である。
そこに書かれていないことを、機微や情緒などのように読み解く能力である。
そうした、いわゆる『日本人力』のようなものが失われつつある。

ルールを守る人が好きである私は、ルールを守ることを重んじている。
しかし、そうして長年守ってきたルールが、変化しつつあるのだ。
日本がグローバル化していく中で、日本古来の文化を守ることは、大変だろうと予測される上に、無理であると諦める必要も出てくると予想される。

しかし私は、こうした日本の文化を、大切にしたいと思っている。
こうした考え方は、私の心が“鎖国をしている状態”と同じになっているのではないかと、一抹の不安も抱えながら。

いいなと思ったら応援しよう!

尾崎コスモス/小説家新人賞を目指して執筆中
とっても嬉しいです!! いただいたサポートはクリエイターとしての活動に使わせていただきます! ありがとうございます!