得意なことは自分にとって短所にあたる
元々自分が持っている気質を大切にする
隣の芝は青く見えるもの
“スキル”と聞いて、自分には無いものと捉えている人が少なくない。
実際には多くの方が、「自分に発信するほど得意なものがない」と言う。
書店に行くと、数多くの書籍が並んでいる。
そうした本の多くは、「気にしない技術」だの「自己肯定感を上げる方法」といった本が並んでいる。
こうした本が悪いとは言わない。
こうした本を読んで向上心を持つことの多くは、非常に良いことだと思う。
しかし、例外がある。
今回はこのお話をしたい。
私は、人というものは欲望の塊だと思っている。
達観して「物欲がほとんどない」という人も存在するが、そうした人でも「あの人のようになれたら」と思うことはあるはずだ。
そうしたことを考えたこともない、という人はこの記事は的外れであるため、読むに値しないと思う。ただ少しでも身に覚えのある方は、聞いていただきたい。
「あの人のようになりたい」
というものは、そのほとんどが『ないものねだり』であることに気づいた。
人には得意なことや不得意なことがある。
それは誰しも例外がないことだ。
しかし、他人の得意なことを羨ましく思う。
そこには『自分』が存在していない。
『自分』という一人の人間を無視して、他人のことを見つめている状態になっている。
他人だけを見ているため、願望だけで求めてしまう。
すると『自分の得意だったことを打ち消してしまう』ということが起こり得る。
どういうことか、少し掘り下げてみよう。
『人には誰しも得意なことがある』
という事を前提に考えてみるとよくわかる。
人には『長所』と『短所』があるのは、みなさん知っての通りである。
この長所と短所というものを、意外と理解されていないことが多い。
『短所』とはなんだろう?
あえて、短所で考えてみよう。
「優柔不断」という人は、多いのではないかと思うため、これを例に考えていく。
「優柔不断」という人は、「物事を決めることができない」もしくは「物事を決断するのに時間がかかる」人のことを言う。
ではなぜ、時間がかかるのか。
決められないのではなく、「決めた後のことを考えている」ためではないだろうか。
例えば……
「こんなことを言ったら、相手は嫌な思いをするだろうか」
「この場面では、注文する商品は金額的に高すぎない方がいい。しかし、あまりに安すぎては相手に気を使わせてしまうのではないだろうか」
こんなことを考えているはずだ。
これは本当に「決められない」のか。「優柔不断」なのか。
ここまで考えている人がいたら、それは「優柔不断」ではなくて「思慮深い」と言うべきではないかと思う。
このように、『長所』と『短所』は紙一重なのだ。
「言い方、表現の仕方」なのである。
ここで最初に戻ると、この「優柔不断」である自分が嫌になり、『決断力をあげる方法』という書籍を手に取りそれを読む。
ここに書かれている内容は、もちろんその書籍によって変わるものだが、
もしも
「相手の事など気にせずに、自分の欲望のまま選択することが、結果的に自分らさを表現できる」
などと書いてあった場合、そのように従ってしまうとどうなるだろう。
あなたの中にあった「思慮深さ」が消えてしまい、結果的に長所が失われる
ということになるが、お分かりいただけるだろうか。
つまり、『自分の存在』というものを常に自分の中に持ち、その上で向上心を持ち続けていく必要があるのだ。
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【蟹座のあなた】
優柔不断なあなたは、決められないことで他人に迷惑をかけてしまうかもしれません。
空気を読むことができるあなたなら、周囲とのバランスを考えて決断していくことができるでしょう。
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私の星座の運勢や占いにはこうした内容がよく書かれていることがある。
こうした占いには大抵、良いことと悪いことの両方をこのように、記載されている。
しかし私たちは、こうした文章をみるとついつい「短所を克服すれば、もっと素敵な自分になれる」と思ってしまう。
しかし、これは間違っていると私は思う。
ここに書いてある「優柔不断」という単語と「空気を読める」という単語は切り口が違うだけで同じことを言っているのだ。
ついつい「優柔不断」という単語に惑わされて、「優柔不断な自分を克服したい」となってしまう。
短所を克服するために、長所を消している。
こうした『無限ループ』のような努力をしている人が、とても多いという印象を持っている。書店で並んでいる本を見ても、その傾向が強いことを表している。
「元々の自分を見つめる」
というのは『欠点も含めた自分』を見つめることだということを、私たちはわかっているようで、わかっていない。
「自分で欠点だと感じている部分も、自分の魅力になっている」
そんな言葉を聞いたことがあるだろう。
これは、こうした『長所』と『短所』は別物ではなく、同じものだということを表現しているのだ。
相反するものは、得てして、同じことを言っていたりするのだ。